豊川斎赫『群像としての丹下研究室』

オーム社よりいただきました。ありがとうございます。

さっそく一読した。建築雑誌2011年2月号に書いた拙論『国家のアイコンをめぐって----折衷主義・純粋美学・弁証法』を思い出した。国家を代理代表する建築として、日本では、鹿鳴館的な折衷主義、「日本的なもの」のような純粋美学、アポロとディオニソスを統合しようとした丹下健三のような弁証法、という3類型に分類できて、私見では丹下的アプローチがまだのびしろがあると指摘した。それにたいし難波和彦さんからは、多様な現代にあってそんな単純化ができるのだろうかという批判をいただいた。そういうながれからすると本書は、ぼくの予言(?)を応援しているかのようである。

さらにくだらないことをいうと、日本史上の建築家をひとりえらぶなら、重源か丹下健三のどちらかであろう、ともこのブログで書いたこともある。

個人的には、遠い昔、建築に進学して専門家になろうと意識したころ、まず読んだのが丹下の文献であり、まず見学したのが香川県庁舎であったので、気合いはすこしははいる。じつは最近気合いをいれて読む本がなくてほんとうに困っていたのだが、ひさしぶりにテンションが高まった。

表題からわかるように、丹下を中心にしながらも、立原道造、浅田孝、浜口隆一など多くの同時代人にも触れていて、たいへん詳しく取材していて、詳細に書かれており、本格的である。論文はやはり素材が命であり、大きなものを対象にすえ、かつヒアリングなどでオリジナルな生の情報にもとづいて書かれているので、久しぶりの本格派といったところである。

本格派なので読む側もつい細かいところが気になったりする。たとえば「衛生陶器」(p.7)発言は、そのとおりなのだが、本書では1985年の文献に再録されたものからの引用である。戦前の、具体的などの状況で、具体的にどの建築家のどの作品についてなされた批判かはわかっているはずなので、そこまで書いたほうがいいのではないだろうか。

P.63あたりで感じたが、やはり国家=モダン、近代化は国家が主導するもの、という時代なので、丹下はそのパラダイムに忠実であろうとした。その忠実度が際立っている。ただぼくが注目するのは、時代の課題に忠実とは言っても、機械的な政策検討者・立案者にはならないで、スタディをベースにしながらも、どこかで超越するその超然としたありようが丹下ならではなのであろう。そういう意味では、本書のなかでも述べられていた構造派と芸術派の対立を、まさに弁証法的に超越するような立場にいたことになるのだが。

「住宅は建築ではない」(p.76)というのは、端的に西洋思想である。ただ、これは日本がそこまで近代化したというように解釈するか、あるいは市民派を自称する建築家とは違うぞ、あるいは商業主義的建築家とは違うぞ(それぞれ代表選手がいるのだが)、という建築家意識なのか、いろいろであろう。

ドイツ観念論で成長した丹下が、ロストウ「離陸論」などをいいだすのは、どうもそこでなにかが変わったような気がする。20世紀全般を俯瞰すると、戦前はドイツ観念論マルクス主義、フランス現代思想という順番で、日本の建築若者にとっての教科書は変わっていったのだが。

長谷川堯による丹下批判「<国家>の意図に従順」(p.370)の再批判は、すこし機械的な気もする。たしかに70年代は丹下批判もあったのだが。ぼくとしては丹下理論も理解し、長谷川の主張もわかる、両にらみの気分ではあったが。ただ丹下の場合は、国家が彼に指令したというより、彼自身が国家であったので、従順もなにもないとおもうのだが。つまり磯崎さんの追悼文にあるように、丹下はなによりも国家建築家であった。それは国家主義の建築家という意味ではなく、国家=世界を自分で構築しようとする建築家、すなわち神/建築家アナロジーという意味においてそうであった、のだが。

ともかくも深い追体験の書であることは確かである。