再録・葉祥栄論その4---建築のリアリティへのたゆみない探求にたいして

*某賞にかんしての推薦書(2009)として書いた。
 葉祥栄は福岡を基盤としつつも、つねに建築への普遍的なアプローチをつづけ、そのことで全国的に認知され、そして国際的に高い評価を得ている創造的な建築家である。
 彼は慶応義塾大学経済学部を卒業ののち、アメリカのウィッテンバーグ大学でインテリアを学んだ。1970年、福岡市内に葉デザイン事務所を設立し、福岡市内外、小国市などで多くの建築作品をてがけてきた。屋根と壁という概念を廃したガラスの覆いである《コーヒーハウスインゴット》、間伐材を使った大ドーム構造の《小国ドーム》、ワイヤーとガラスを布のようにつかった《グラスステーション》、アメーバのようなスチール立体トラス屋根の《ふるさとパレス ギャラクシー富山》など。それらにたいし毎日デザイン賞(1983)、日本建築家協会新人賞(同)、日本建築学会賞(1989)などが与えられた。《同潤会青山アパート再開発計画プロポーザル》は、計画で終わったものの、地勢、都市組織、内部と外部を深く分析した、都市と建築を横断するすぐれたプロジェクトであった。

 教育者としも経験豊かであり、ニューヨークのコロンビア大学や、さらに1996年から慶応義塾大学において教授として建築を教えてきた。
その作品と理念はメディアをとおして世に広まっている。日本の建築雑誌としては『SD』誌の特集「葉祥栄:カリステニクス 柔らかい建築のための12の柔軟体操」(1997年1月号)など、数回の特集が組まれてきた。さらに海外のメディアがより頻繁に紹介してきた。Anthony Iannacci and Shoei Yoh, Shoei Yoh: In Response to Natural Phenomena, l'ArcaEdizioni, 1997; Nancy Moore Bess, Bamboo in Japan, Kodansha International, 2001; Charles Jencks, The New Paradigm in Architecture: The Language of Postmodernism, Yale University Press, 2002; Greg Lynn, Folding in Architecture (Architectural Design Profile), Academy Press, 2004などはその一部に過ぎない。彼の建築とその方法論は、論理性をより重視する海外のメディアや評論において、より高く評価されている。建築評論家グレッグ・リンは、葉の建築を評して、初期のプラトン的純粋形態と後期の融通無碍な建築を区別している。しかしそれは矛盾ではなく、自然の法則性を、最終的なマクロな見え方においてとらえるか、そうではなく細胞や粒子といったミクロな次元で把握しようとするか、の違いであろう。
 葉の建築は、モダンなものと日本的なものの両立、光や風といった指標のたてかた、ガラスや竹や鉄といった素材の特性への理解、竹や間伐材を使ったサステイナブルな構造、といった点において際立っている。しかし葉という建築家の本質は別の点にあるであって、それはリアリティということである。

 建築が本来的にある理想の構築である以上、それはたとえば国家、社会、共同体、家族、ある主義などといった、いわゆる自然状態にはないもの、構想された制度、理想、夢などに立脚する。それがゆえにその建築は一種の「虚構」として構想されることになる。

 葉は、他の建築家とはまったく異なり、けっしてこうしたアプローチをとらない。彼は虚構ではなく「リアル」から出発する。光、風、重力、素材といったものが重要であるのは、そうした意味においてである。光を一様にとりいれたり、光によって空間が格子状に描かれうることを示すことは、彼にとってのリアルである。間伐材をつなぎあわせた長大なアーチが重力でたわみながらある位置でおちついたり、格子状に編んだ竹が重力によってたわみ、ある位置で静止すること、立体格子の大屋根がそれにかかる応力にしたがって寸法を変えること、は「リアル」なのである。
 さらにそれは、かつてのリアリズムの素朴な次元をはるかに超えたものでもある。ちょうど雨、風、雲といった気象現象は、実体であるというよりはむしろ、温度、湿度、気圧などさまざまな指標の値の組合せによって最終的に決まるひとつの「あらわれ」であるよう。葉の建築は、多様なものの統一として、ひとつのリアルで美しいあらわれである。水蒸気が雪に変容するときのような「結晶」と言い換えてもよいであろう。
 自然のように法則に従いつつ自由で多様であるこうした建築はリアルであり、真摯である。そして虚構に依拠しないであくまでリアルなものを尊重しようとするひとつの真摯な哲学が、人柄にも、言葉にも、多くの優れた作品にも貫徹していることに感銘をうける。そのとき、それらの蓄積された厚みに敬意をいだくとき、西日本文化賞にふさわしい建築家であることを謹んで推薦することに、まったく躊躇しないのである。