ティム・ブラウン『デザイン思考が世界を変える』

たまにはこんな本もと思って、図書館で斜め読みした。学生のころ『生きのびるためのデザイン』なる本があったが、そんな感じかなとおもっていたら、この本もしっかり引用されていた。

学生向けなのであろう。理論的すぎず、現在進行形の語りであり、いろいろなプロジェクトがいきいきと説明されている。小池百合子のクールビスだとか。最近のBOPにも言及されている。いわゆる先進国のデザイナーは第三世界といわれたものへの注視をおこたっていない。といった比較的最近の動向も紹介されている。MBAなどビジネス教育にもデザイン思考がとりいれられている。翻訳もこなれている。

ただ上流に遡るとか、クリエーターと消費者(ユーザー)のコラボとか、クライアントをデザイン経験に参加させることっとか、グローバルからローカルへといったよいことが書かれている。ちょっと平板である。ライトの「フレーベル教育」、フラーの宇宙船地球号とか、すこし題材が古くさい印象もうける。

それから理論的基礎は省略されている。ポランニーの暗黙知や、アメリカ大都市の死と再生論、知識産業・知識経営、はたまたサッセンのグローバル都市などといった理論が背景にあるのはあたりまえだが、それへの言及はない。はたまたipodが企画されたとき、アップルの経営者たちはそもそも音楽を聴くこととはなにか、といった根源的な議論がなされたとかいった面白そうな話もない。だから全体としては表層的である。もちろんデザイン事務所が活発にいろいろ活動している雰囲気はよくつたわってくる。

でもこれならグーグルがデジタル図書館をつくって世界政府を構想するなどといった、ちょっとファナティックなほうが、一種の悪未来的な読み方もできて、読書としては楽しいのだが。

それから建築的に思うのは、建築/デザインの関係がまったく変わったということであろう。100年前、古い技術がまだ残存していた建築は、工業デザインを模範として、みずから近代化・合理主義化しようとしていた。いま、それほど根本的にパラダイム的に学ぶものはないのであろう。大量生産の時代がとっくに終わっていて、高度な一品生産の時代だなどといえば、ようするに建築の時代(のはず)なのである。ぎゃくに建築はなにをモデルとしたらいいか、という問いが残っているとも感じられる。

もちろん311以前に出版された書物なので、すこし雰囲気があわないのは不利ではあるが。