豊川斎赫『丹下健三 戦後日本の構想者』岩波新書

先日、建築会館のちかくで研究室のかなり後輩にあたる若い研究者とあって世間話のようなものをした。彼は敬老精神の持ち主であったこともおそらくあるが、建築的課題はとてもよく共有できたような気がした。ということは、ぼくもけっこう気持ちは若い?でも時代はさほど進展していないということか?などと感じ入った。

豊川さんの最新作を送っていただいた(ありがとうございます)。丹下のKWがうまく整理されており、読みやすく、密度濃い内容がこめられてり、読み応えがある。ただあえて批判すると、総論があいまいである。箴言「美しきもののみ機能的である」を冒頭にもってきた意図はわかるつもりだし、なかなかいい書き出しである。しかしかならずしも展開されいるのだろうか。今度会ったらそのあたりを解説していただけると思う。

個人的な興味としては、美、象徴性を論じているのだから、イセは不可欠とも思えるのだが、それは意図的に省略したのだろうか?

おぼろげながら想像するのは、豊川さんは新書ということもあって、丹下論全体を披露するというよりも、まず入口を明示し、はっきりした輪郭のスタートとしようとしたのであろう。それは丹下の「モダン」であると要約できるだろう。ヨーロッパのモダンにように、まず過去との切断をはかり、いちど建築を体系的に初期化し、そのタブララサのうえに、再構築する。かならずしも過去との完全切断ではなく、この再構築のプロセスにおいて、過去とのきずなも再接続される。そのような切断/再構築としてのモダンを、戦争を契機にして、実践したのがこの丹下である。豊川さんが整理整頓したKW群は、その再構築のための、ひとつひとつの石、ひとつひとつのレンガなのである。

だから方向性はしっかりしているのだが、いやしっかりさせたゆえに、ぎゃくに、やや平板に、ややデータベース的になってはいないだろうか。そして建築史家が建築や建築家をかたるとき、どうじに自分の歴史観をかたっているのだというぼくの了解をあてはめるなら、そのヴィジョンを聞きたいものである。

ぼくは70年代以降、多くの建築家やとくに建築史家は、丹下健三を仮想敵(のようでリアル敵)とあえてした経緯を実感できるだけに書くと、1913年生まれの丹下健三と、1914年生まれの丸山眞男はとてもかぶってしまうのだが、彼らのモダンの否定のされかたはよく似ている。彼らを否定した中心にいたのは、あるひとつの世代ということも似ている。丹下が再評価されているプロセスと、丸山が最近になって回顧されているのは、おなじような現象かもしれない。では、さんざん批判されたモダン、されどわれらがモダン、をふたたび論じるには、このようなよく整理された丹下モダンの叙述のうえに、もうひとつ別のレイヤーをオーバーラップさせなければならないだろう。

本書はなにに対抗しているかを考えるに、1977年に出版された新建築誌における近代の「虚構」性にかんする特集である。つまり近代建築は虚構を構築したのであった。1977年の時点で、それは批判されるべき虚構であり、当時の人びとにとっては戦前にまだ残っていた近代以前の国土と都市の一部は、実在するものであり、ひょっとしたら回復されるべき「本来性」の場所であった。そうした立場からの近代批判、丹下批判であった。しかし今日のわたしたちにとって、たとえ虚構であっても、もはや引きかえせない生きる場である。虚構はわたしたちが生きる世界という意味において、リアルなものに反転している。そしてそれ、虚構/リアル、を構築したのが、丹下健三、というより丹下的なものである。本書は、近代にたいする反近代、という70年的なものの構図を乗り越え、ふたたび近代を内側から生きなおす、認識しなおす、あたかも虚構の設計図を探す旅のようにも思える。だからぼくは批判もしたが、評価もしたい。

そして丹下健三を忘却するとか、しないとかという問題ではないだろうという気もする。彼が生きたプロセスをわたしたちがもし、追体験するようなことがあったら、どうするのだろうか、ということでもある。つまり、世間は激しい丹下時代のあとまったりした永遠の現在がずっとつづくと思い込んでいる。しかし、ペースは緩いが同じような方法論的再構築、歴史との切断と再接続に直面したときに、わたしたちには丹下のような根本があるのかどうか、という空想である。あるいは丹下を忘れたつもりでいたら、すべては丹下に支配されていたという別の悪夢も想像可能である。ぼくは悪夢を想像したほうが、よい(楽しい)と思う。