『磯崎新と藤森照信のモダニズム建築談義』

六耀社からご恵贈いただいた。ありがとうございます。

ふたりがレーモンドと吉村、前川と坂倉、白井と山口、大江と吉坂を論じるという、けっこう大作である。磯崎さんは、あいかわらず俯瞰的、理路整然、博識であるし、藤森さんはあいかわらずなんとか派弁証法なる芸風が豪華で、逸話は豊かで、今回は西洋アヴァンギャルドの理解も披露している。読み物として飽きさせない。

とくに主題は戦争をいかにモダニズムがきりぬけてきたかということで、裏歴史的な、暴露的な面白さもあるし、20世紀をどうとらえるかという論考につながってゆくのであろう。

とりあえず読者としてあるいは聴衆として的に、拍手でもすべきなのは、むしろ坂倉が西洋建築家に影響を与えたとか、日本の建築界は実質的に「近代の超克」をなしとげていた、というようなある種の自負のようなものであろう。それが構法、ディテール、理論、思想を素材として語られる。

そこで賛同でもないが批判でもないことを若干、思いつく。

まず20世紀の100年間、日本はほぼ西洋とシンクロしていた、先進/後進ではなく、同時代を生きていたという主張である。これは日本における都市計画法の成立が1919年であり、いわゆる先進国に遅れること若干にすぎず、本ブログでも、明治維新よりも19世紀と20世紀の切れ目を、日本と西洋がシンクロする閾として考えるべきではないかと主張したことがある。

つぎにモダン運動と国家の関係とか、世界大戦はどうしても大事件であるので、戦前戦後の連続/不連続がしばしばいわれるのであるが、そもそも国家そのものがモダンなのではないか。つまり宗教国家でも王国でもない国家は、モダンなのではないか。しかも資本主義をエンジンとする近代国家は、モダンそのものなのではないか。そしてそうした国家間の戦争、世界大戦もまた、モダンそのものではないか。などということを連想する。

であるなら、戦前前後の連続だの不連続だのはどうも問題のたてかたそのものが不十分なのである。

そのとき国家は実体というよりひとつの機構である。なぜなら、たとえば20世紀初頭では、ボトムアップ的な社会運動であったものが、国家負担となる。たとえば19世紀までは完全に民業であった住宅産業を、20世紀は国家が肩代わりするようになり、それを社会住宅や公共住宅などと呼ぶようになる。そのように考えると、国家はたしかに強力な実体のように存在するのであるが、しかしむしろ、ひとつの機構、機械なのかもしれない。だからそこに、モダン運動としての近代建築も、ときには容易に編入されうる。

そう考えれば、国家も戦争も、モダンの揺籃のようなものである。建築はこうした機械との接続を苦悩したのであるが、さいわいにも、日本の場合は比較的自由であり、生産的であった、ということについて、磯崎さんも藤森さんもおおむね合意のようである。