再録・葉祥栄論その2---堀川病院サンダイヤルについて

*この小論は毎日新聞西日本版1997年2月14日掲載、見出しは「建築のバリアフリー ---知覚への還元と技術・素材の把握こそ」

 「バリアフリー」が昨今、よく言及される。一般的な意味では、それは公共性のある建築や環境において、身障者にとって邪魔になる段差等をなくすことを意味している。日本はこれから高齢化社会を迎えるし、またそもそも社会は様々な異質な人間を許容する開かれたものであるべきである以上、この概念はますます重要になろう。
 ところで素朴に解釈すれば「バリアフリーな建築」は実は矛盾する概念である。なぜなら「建築」とは根本的にバリアーを意味するからである。建物は最小限雨露をしのがなくてはならないということは、雨に対するバリアでなくてはならない、ということである。
  だから建築においては、このバリアは多様であり重層的であり、いかなる要素をいかなるレベルで受入れ、あるいは拒否するかが問われている。問いも回答も実に複雑で繊細である。
葉祥栄による堀川病院サンダイヤル(久留米市)は巨大なガラスの風船のようなアトリウムが印象的である。

 これは老人介護のための施設であるが、御老人たちを閉じ込めるのではなく、広々とした開放的な空間で介護するのが望ましと同時に、施設の性格上、プライバシーも守らなければならない。従って非常に広く開放的な「アトリウム」がいわば覆いのついた中庭あるいは広場として建設された。天井も壁もガラスであり、光は遮られない。しかしプライバイーを守るため、側面はすりガラスで、視線に対してはバリアとなっている。
 このアトリウムは、構造は全部外部に露出されており、内部からはほとんど意識されない。つまりここでも、光は通すが、視覚的に望ましくないものは見せないという選択的なバリアフリーである。ゴシック教会建築の、外部の控壁や飛梁と、内部から見たステンドグラスの関係にたとえてよいだろう。
 手塚貴晴と手塚由比による副島病院(佐賀市)は、亜鉛メッキ鋼の巨大なルーバーが印象的である。ここでもバリアのありようが繊細に検討されている。入り口から奥まで段差がないのは上記のサンダイヤルと同様である。2層吹き抜けの待合室は、外部の木のデッキや庭園と一体化し、非常に明るく開放的で、心理的なバリアも完全に除去されている。
 南面する各病室も、南側は腰壁も子壁もなく全面ガラスであり、外の佐賀市の都市風景が見える。空や建物だけでなく、道を行き交う人々も見える。変化の少ない病室内部の生活にとって、動くものの光景は貴重である。これは入院患者を視覚的にも社会から阻害させないようにしようという、やはり心理的バリアフリーである。一方、日差しを避けるために前述のルーバーが設けられたが、これは太陽光線を調節するバリアである。
 また北側の広い都市計画道路に面しては、設備機械類を配置して、一種の防音壁の役目をさせているが、これは音に対するバリア。この部分は構造的には病室等から縁が切られており、機械の振動が伝わらないようにしているという意味でも、バリアである。
 建築は本質的にバリアだが、なにを遮り、なにを通過させるかという、選択的なバリアである。そこで浮上しているのは、ものとして「存在」する建築よりも、そうした物的な枠組みのなかで人間がいかなる環境を「知覚」するのかに注目する、極めて鋭敏な建築家の感性である。光、視線、音、気配、温度、そうした知覚的な世界こそを構築しようという建築家の意志である。こうした目的の建築は、それまでとは必然的に異なる。
 こうした建築をつくる葉にしろ手塚にしろ、この文脈では、実は彼らの方法論自体が別のバリアフリーを目指している。
 例えば葉は、かつて非建築を目指すしかないと宣言し、ガラスで覆われた水泡のような「インゴット」ではガラス、小国ドームでは軽い木造ドーム、筑穂町内野の高齢者生活福祉センター+ 内野児童館では造形の手がかりとしての竹、等の素材の可能性を徹底的に追求した。
 手塚もイギリスのハイテク建築家リチャード・ロジャースの事務所で修業した。しかし彼らはスタイルとしてのハイテクではなく、現代の工業技術で製造された様々な素材の可能性を発揮させることを追求している。
 そして彼らの建築が、方法論的な新しさを感じさせ、決して「ハイテク風」に堕落しないのは、視覚や聴覚や触覚といった人間の基本的な知覚という根元と、現代の素材や技術そのものに内在する可能性を、より直接的な相関関係の中で把握し、造形のさまざまなレベルで熟慮の末の決定や選択をしているからである。
 もっとも葉の場合は非建築宣言に見られるように、それは戦いであり、時には理解されていないと感じることもあった。一方、若い世代の手塚は、それはすでに出発点であり、社会もすでに受け入れる用意ができつつあった、という違いはある。葉が戦って築いたプラットフォームの上で、若い手塚が出発したという世代関係はある。しかし本質的には、両者は同じ根源的なものをめざしている。
  その根源とは、建築を知覚の問題に還元し、技術をより根本的に把握して使うことで、芸術としての建築/技術的産物でしかない建物、の区別が廃棄されていることである。彼ら以外では妹島和世らの建築に顕著である。ハイアート/ロウアートという美学上のバリアフリーが実現されているのである。