岡村さんより送っていただきました。ありがとうございます。
都市復興をテーマとする研究には越沢明の一連のものがまず思い浮かぶが、本書はこの復興に新たな視座をもたらそうとしている。ひとことでいうと、越沢がどちらかというと大都市中心であったのにたいし、本書はより小スケールの、地域の復興というテーマをかかげている。たしかに、神戸の地震ではひとつの大きな都市に被害が集中したが、東日本大震災では、広域におよぶ、多数の市町村が被災した。そういう意味で、適切な問題設定である。
ぼくが感心したのは全体の構成である。すなわち繰り返される津波の被害にたいし、通時的には地域主体、地方政府主体、中央政府主体というように復興システムは変遷していったことが詳細に素描される。それを著者はさいごに共時的構造に変換し、地域、地方政府、中央政府の3つからなる複合主体の構成のしかたのなかに、これからの検討課題をみようとする。戦略的ニュートラリズムとでもよべそうな分析である。たしかにいついかなる場所でも、3主体がおり、なんらかの役割分担をしているわけで、普遍的構造のなかに個々のケースの特殊性を分析できるのである。情報整理力の高さを感じる。
たほう、宮沢賢治、柳田國男、井上ひさしの、そしてスルニットが提供する、ある種のユートピア論のもたらす可能性についての指摘がある。コメントできる特段の知恵があるわけではないが、それを復興手法としてトリセツ化するものというより、人間の基本的な自律要求のようなものと想像している。著者が指摘するような、国家支配が強い時代においてこそ、この自律的社会構築の願望が強かったのだが、それを相互補完的などとするバランス感覚は陳腐であるにしても。
というわけで個人的興味の延長としては、集落再編のくわしい細部も面白いのだが、ある種の基本構造を方法論として発見した感のある著者が、これからどういう方向に研究を展開するのであろうかということでもある。欧州における地域が欧州>国家>地域圏>都市連合>都市>区などという重層構造をなし、その構造を念頭におかないと研究もプロジェクトもままならないように、すくなくとも三層の重層構造として、日本の都市なり地域なりを分析するのだとしたら、まことにもっともだと思われる。
さらにいえば地域、地方、中央の3層構造は、じつは共時性をさいしょに考えており、しかるのちにそれを歴史のなかに遡及することで、歴史を再構成したなどということであれば、お見事ということになるであろう。