日埜直彦『日本近現代建築の歴史』講談社2021

日埜さんからご恵贈にあずかりました。ありがとうございます。
 たいへんな力作であり大作である。刺激的でもある。読みつつさまざまなことを連想し、とりとめもなくなってしまう。
 私事で恐縮だが、助手であったころ、教授に生意気なことをいってしまった。藤森照信が『日本の近代建築』(1992)を書く直前であった。「日本近代には現代をも含めた通史が書かれません。それができるのは先生くらいだと思います。先生はなぜ通史を書かないのですか?」苦笑され無視された。恨んだわけではないが、そののち日本建築学会の「建築雑誌」の編集を任されたとき、「通史はなぜ書かれなかったか?」をテーマとする特集を組んだ。有力建築史家数名に寄稿してもらうという程度のものであったので、事前に問題意識を高めて共有しておくこともせず、低調であった。そんなていたらくだから著者は参考資料にもあげていないのだろう(辻泰岳さんは言及しているが)。
 ぼくもいちおう建築史プロパーなのだが、若き日の愚直な質問からなんと30年もたった今、考えをあらためたのだろうか。そうでもない。ギーディオンにせよペヴスナーにせよ、本書で俎上にのっている稲垣、桐敷、村松らの通史は、歴史叙述としての完成度は高いが、やはり当事者のイデオロギーや問題意識に傾斜しすぎたものと考えていた。ぼくだけでなく多くの建築史家はそう考えていたふしがある。だから定評のある建築史叙述を脱構築したり、その外側にでることを目標としていた。すくなくともここ30年間、建築史プロパーはそのようなことを指向していた。
 著者の本書は、力作だが、彼自身が1970年代以前的な通史を、批判しているようで、じつはそのフォーマットにのっとり、継承するものである。しかも巧妙なことに1970年代で終わってしまう上の世代の限界をのりこえるために、70年代以降をそれ以前の反転とするという戦略をとっている。反転また継承というものである。全体としては、まさに建築史プロパーがいちばんやりたくなかったことを堂々とやっている。これは昔の作文から引用すればまさに「金的の狙いうち」ではないか。などと意地悪なこともいってみたくなる。
 ただ著者の立論も一理ある。桐敷は穏やかであった印象だが、稲垣や村松ははっきりと近代化批判をベースとして通史を書いたのだし、さらにその問題意識と関連して、建築遺産や町並みの保存に貢献したのだから、その成果をもっていちおうの完結とできたのである(まことに偉大である)。そうした萌芽ができたのはまさに1970年代であった。先学たちは歴史を書くと同時に、歴史を作っていた当事者であったのだ。そういう彼らにはそこで一段落とする権利があるようにも思える。
 さて建築雑誌編集のときにぼくが「なぜ日本近代の通史が書かれないか?」を考えたのは、2000年を記念してフランスではやはりフランス建築史の大作が、それこそ全学界的にという感じで出版されるからである。思うにフランスではまずアーカイブ学的に基本的な通史を書くということがイデオロギー自由的に確立されいるので、一番俯瞰力のある学者がまとめる、という感じである。反射的に考えて、すると、日本では通史を書くということは大きなイデオロギー的胆力が求められるということであろう。
 立場が逆転し、建築史プロパーはむしろ歴史を脱構築したいのだから、むしろプロパーでない立場から通史が書かれるのである。それも一理。そう考えると、ぼくは自分がやりそうにないことを人にお願いする理不尽なやからなのであろう。
 さて読書感想文としては、力作・大作ではあるが、理論構築に先立ってあるべき概念の定義がよくできていないという印象である。まず「様式主義」(p.110)なる主義はない。頻繁に登場する「ナショナル・ロマンティシズム」は、特定の時代の北欧・東欧についていわれる言葉であり、日本にまで適用するのはいくらなんでもどうだろう。さらにいえば最重要概念である「国家」についてはまったく曖昧だし、資本、公共性、市民など重要語句もそうである。それでも本書は熱心に読まれて好評を得るであろう。なぜなら反近代、反国家、反体制を叫んでいた世代がまだ健在であり、彼らの共感を得ることは最初から保証されているような気がする。そういう意味でも隔世遺伝的に、敏感なところをよく把握しているのだ。と同時に、かつての反近代化論にもなにが不足していたか、本書からむしろ推測できるような内容にもなっている。
 それと関連して、1970年代の意義についても感想がある。なぜそこが転換点なのかの説明は質料ともに十分ではあるとはいえ、不可欠なものが欠けているように思える。たとえば消費社会の成立、それをもたらしたメカニズムなどもそうだ。しかし象徴的にせよきわめて重要なのは1968年の都市政策大綱である。なぜこれが言及されないのだろう。これは田中角栄日本列島改造論の骨格になり、1980年代の中曽根民活、1990年代の日米構造協議、さらには旧国鉄跡地の再開発プロジェクトを招いたおおきな方向転換であった。それは政府が、都市を市場や資本の自己運動にゆだねるという方向性である。すなわちつねに都市や経済を指導してきた国家は、すでに資本も十分そだったとして、背景に退いたのである。国家はみずからすこし後退したのであって、それもまた国家の計算と戦略なのであり、自然な時代の変化というものではないし、ましてや市民運動の結果でもない。本書では1970年代に建築家は「都市から撤退」したと書かれているが、そもそも国家がすすんで都市から「撤退」していた。こうして建築家は、都市=市場=「公共性の欠如」となった場所に荷担したくないと思ったのではないか。なるほどここでも建築家は国家に依存していたのである。
 著者のいう国家は、全知全能の神か悪魔のような存在に聞こえる。しかし国家とはひとつの機構であるにすぎないし、左派でも右派でもその政権をとることができる。
 辻泰岳さんの本を読んで思い出したのだが、国家の関係論的定義としては、柄谷行人のネーション/ステート/キャピタルの三位一体の構図は参考になる。建築にあてはめれば、ステートはエリート建築家育成、都市計画法、近代化政策などをふくみ、ネーションは日本的なもの、縄文弥生などを含み、キャピタルは投機の場と化した日本都市などとわりと明快におさまる。しかし著者の「国家」はどうもこの3者を区別しないようで、そういう主義主張でもあればしかたないが、読んでいて迷子になる。
 資本の発展にひきずられて近代国家は形成されたのだし、ネーション的(国民的文化的)一体感がなければ、ステーツの構造は生きないし、単独では存在できない3者は、力関係のなかで鼎立し、あるバランスを保つ。そして明治維新から70年間はなるほど国家が突出していたようだが、基本的な構図としては、国家はむしろ適正な位置を求めてみずから突出したり後退したりするものだ。近現代においては、世界恐慌、大災害、戦争などの危機的状況において国家は肥大化するし(大きな政府)、経済が順調で安定した時代には縮小する(ちいさな政府)。三部構成のひとつをになう国家が、その状況におうじて、膨張したり縮小するだけである。それを国家の時代/ポスト国家などとするのは、人間の終焉のような、修辞にすぎないことを信じ込んでしまうような弊害がありはしないか。
 個人的には1970年代は、おおきな変革期ではあるが、反転ではないと考える。自由職業人としての近代的な建築家は、むしろ資本主義の形成のなかの一部である。国家は、イギリスやフランスなら、それを追認し支援する。日本では指導する。国家や経済の成熟度におうじて対応は調整される。民間資本が未熟なら、国家が建築家に仕事をあたえる。そのとき国家は、むしろ資本の代理なのではないか。
 このことは結論とも関連している。「公共性」という価値が重要なことはぼくもまったく同意である。また社会学のベーシックな認識では、1970年代は公害訴訟などをかわきりに、やっと日本社会でも「市民」が形成されはじめた時期なのだ。その点でも著者の見立てはただしい。
 しかし2021年3月現在、グローバル化といわれた、資本の自由な運動と調整機能によりすべてうまくいくという時代がおわりつつある。疫病の件もあれば、これからは国際紛争が激化しそうな悪い予想もある。そうするとふたたび国家が前景化するかもしれない。すると著者の期待ははずれることになる。ポスト国家でハッピーとする著者の希望はすこしあやうくなっている。
しかし全体としてみれば、国家論でこれだけの骨格をつくってしまう彼は、むしろ隠れ国家派なのかもしれない。国家批判を継承することは、それだけ国家依存を継承することである。そう考えれば、再来するかもしれない国家の時代にみごとにシンクロした好書にもなるであろう。