長谷川香『近代天皇制と東京』読書感想

長谷川香さんから『近代天皇制と東京』(東大出版会)を送っていただいた。ありがとうございます。
 儀礼空間からみた都市・空間史という副題にあるように、帝都東京における天皇関係の儀礼を、祝賀、大喪、軍事に分類し、それを空間軸と時間軸に分類してプロットし、読者にわかりやすい俯瞰的視点を提供している。その全体構図のもとで、祝賀会の臨時記念碑としては紫宸殿がいわば定式となったり、神宮外苑については吉武東里による大博構想の構図が下敷きになったという指摘など、興味深い指摘をしている。近代国家形成期において国家元首の身体性、象徴性が都内のさまざまな場所で展開された儀式・儀礼をとおして場所に浸透してゆくさまが、膨大な資料の精査により、具体的かつ詳細にあきらかにされてゆく。
 専門が違うので史料批判のレベルまで掘り下げて批評はできないものの、さまざまなことを連想させてくれる。そもそも近代の文化論には通奏低音としての「祝祭」概念があった(p.105, 335で牧原憲夫が指摘しているように)。すなわち近代社会は、政治革命、産業革命などの諸革命によりいちど過去との断絶をはかったので、社会をいかに再構築するかが課題であった。その再統合のコアとなるのはさまざまであり、理念、概念、人物・・・などであった(日本の場合はストレートに天皇であった)。さらにその新たな中心を国民が実感し内面化させるための契機としてさまざまな祝祭や儀式が開催された(近代日本の場合が「儀礼」だとすればその特殊事情も理由はなんだろう?)。それらは当初はいわゆる上からの祝祭であった、いわば既製品祝祭としてのオリンピックや万博もそれとは無関係ではない。やがて国民、民衆、市民などの自己主張がなされるようになると、ボトムアップ的な祝祭がもくろまれる。その裾野はひろく、60年代の演劇活動、80年代あたりの劇場国家論などもその延長であろう。
 個人的に思い出すのは1989年のフランス革命200周年を記念して、革命を文化論として再評価しようという研究が多く提出されたことである。フランスではモナ・オズーフや日本では立川孝一らが革命祭典における諸行進をパリ都市図のなかにプロットし、革命の起点であるバスティーユ牢獄、ギロチンが置かれていたコンコルド広場、練兵場であったシャン=ド=マルスなどがどのようなネットワークを構成したか、などを論じている。さらにそれらをふくんで、ピエール・ノラが『記憶の場所』を書き、パリのさまざまな場所ごとに物語り、逸話、事件・・・などが重層してゆく歴史を描いている。
 長谷川さんがしばしば言及する「土地の記憶」とはそのような意味であろう。ところが慎重に読んでいくと、長谷川さんがこの言葉を使う意味が、途中で逆転している。すなわちはじめは、それぞれの場所に意味やいわれや記憶がすでにあり、それを読み取るもののように措定していた。しかし具体的な分析を終えるごとに、その初期設定は変更されている。すなわち「近代の東京における大喪儀の式場敷地は、むしろ、大葬儀の開催を通じて「霊域」としての由緒を獲得したのであり、それが以後の地域一帯の整備や開発に影響を及ぼしたと言える。」(217-218頁)となる。すなわち儀礼こそが場所に記憶を与えるのである。
 この個人的展開は、研究史的な展開を反映している。すなわち1980年代に語られた場所論は、場所の固有の意味を尊重せよというよい提言ではあったが、なにか決定論的なニュアンスをもっていた。近代のいわゆる乱開発により場所の意義が根こそぎにされることがしばしば生じたことが反省されたからである。だからその種の場所論はいわば場の決定論であるとして、建築家たちはすこし距離をもったのではないだろか。ところが建築や都市の歴史をすこしかじればただちに了解されることだが、都市史とはさまざまな場所が構築されてゆく歴史なのであり、いいかえれば常なる意味付与のプロセスなのである。常に意味や意思や(ロマンティックに夢も?)などが場に注入されて、「記憶」として埋め込まれる。そうして不断に都市は更新され、場を生んでゆくのである。そのようにして新しい記憶による場の創設を考えることができる。著者はそのことに気づいたのだから、本書はたんなる回顧録ではなく、未来へと延長できるポテンシャルをもっていると指摘できる。
 我田引水になってしまうが拙著『建築の聖なるもの』との連動性もあると思う(宇野求さんの指摘のとおり)。パリは革命ののち、偉人(哲学者・作家)、英雄(将校・兵士)、国王、無名兵士、カトリックたちの埋葬の場所をさまざまに検討しつつ、最終的には原理的には折り合わない人びとの距離をもった共生の聖地群となったのである。日本の天皇は「徳」と「聖」という特性をもつという認識が戦前にあったという指摘を耳にしたことがあるが、政府が諸外国の式典を参考にしたという事例研究を越えて、国家的絆のありようから首都の計画が、理路整然とあるいはなし崩しに、なされたというのは、むしろ20世紀の正史であるように思える。
 期待をこめた注文をつけるとすれば3点。(いずれも本書の当初枠組みをまったく超えてしまうので、むしろ発展的質問)
(1)東京の場所性、その意味づけを豊かにしていった主体は天皇だけなのか?宗教はなにもしなかったのか?日本の首都もまた異なる聖性の棲み分けではないか?そのときに天皇に的を絞ることの意義はどうなるか?
(2)儀礼はいいが、天皇の身体性ということでいえば、類縁概念としての祝祭、儀式、騒動、内乱・・・はどうなるか?「儀礼」に絞っていることにならないか?
(3)天皇(制)、身体、象徴、儀礼、広場、建築様式、人員配置などの重要概念をよく関連づけて論じているが、読者としてはもっと論としての一体感を要求したくなる。とくに天皇にまつわる儀礼もまた天皇制の一部ではあるが、それでも天皇制そのものを論じているかどうか、専門家でない読者は不安である。さらに国民が天皇の身体をどうみていたか。三島由紀夫は例の911教室において、卒業式で目撃した天皇陛下は「微動だにせず、そりゃあ立派だった」といっているが、そのような具体的感想はあるか。軍事儀式においては、皇軍と国民軍の相違は感じられるか。などなど些末な興味は尽きない。
 ただそれにしても、上記文句の裏返しで、都市、建築はもちろん、天皇制ひとつとっても膨大な数の論者が論を展開している、それらさまざまな研究者が、さまざまな角度、観点、概念からみてきたものが、じつはひとつの対象、ひとつの実像として絞り込まれつつあるのではないか。論じるべき「対象」そのものの措定。それが功績であり、それだけでも十分なのだ。やはり不利なのは、書き方がいかにも建築史、都市史だからであろう。どうもそのフォーマットは不利であることはぼくもよく感じる。ひとつの対象としてみえてきたものをよりアピールするには、ひとつの上位概念かもしれない。期待をこめて。走り書きですが。