豊川斎赫『丹下健三と都市』

豊川さんからいただきました。ありがとうございます。

 

丹下と都市というと、業界人なら読まずして内容を想像できるようなものなのだが、そしてじっさい、戦前の富士山都市計画から、戦前のオリンピック計画、神宮外苑計画、戦後の大阪万博などなど、網羅的に紹介されている。おそらく独自に調査した新事実もあるだろうし、なにより時事問題に配慮した掘り下げをしている。

 

ただ今回の著作はこれまでの丹下論とはまったく異なっている。終章で自分自身をとりあげ、丹下シューレの末裔として、都市デザインにとりくむというマニフェストがなされているからである。「巨人の肩の上」などと卑下しなくともいいと思うのだが、そういう「覚悟」(これも近代日本建築史にでてくることば)がちからづよく表明されているようだし、そのほうが丹下を歴史的に研究することの、次のステップなどだと納得させられるものがある。

 

丹下スクールとはいわずに丹下シューレというのは、意図的な復古調というもので、趣味の次元なのだが、しかしそれでも「学派」としてとらえることは、古くさいようでいて、きわめて重要なのではないか。すなわち都市計画学、あるいはより基底的に都市学(urbanismeの直訳)というディシプリンを考えるうえで、そうなのである。

すなわち西洋なら、まず19世紀において資本の都市への蓄積を分析した経済学、都市市民の法的立場を論じた法制史、などが都市学の基盤となって、20世紀初頭の都市計画法立法を契機としつつ、社会学、人類学、心理学、建築学などをとりいれた都市学(といえるもの)が形成されて今日にいたっている。今日の世界では、都市分析、都市政策立案が、グローバルな枠組みで取り組まれているのは周知のことなのだが、それらを認識するために、この学派という観点は、一見古くさいようで、けっこう使えるのである。

ぼくの地元である九州・西日本は、じつはこの都市学的枠組みがみごとに欠如している。都市工OBが設置した専攻がひとつあるだけである。こうした状況で今後の都市や地域を構想するには、結局、人材を中央から呼ぶしかない。そこで大学改革WGに呼ばれた機会に、九大にも都市学科、都市デザイン学科なるものを設置し、地域の行く末を創造的に検討する主体を育てなければならないといった。具体的には既存の都市関係の専攻の下に、本格的な「都市デザイン学科」を設置すべき、と主張した。しかしほとんどスルーされた。ぼく自身は建築史学にすぎないし、都市学といってもその内部で主体とはなれない。年齢的にも無理である。そこでいくつかの会議、WGでなんどか「都市」をコアにする学科、専攻の設置を訴えた。共感してくれる先生はいるので、まったく可能性がないわけでもない。ぼくとしては遺言としていっているだけである。最近、自分の発言はすべて遺言となっている。つまり個人的利害にはもはやまったく関係づけられないのであり、若い世代がどう受け止めてくれるかだけである。

豊川さんが丹下シューレをよりひろい文脈のなかで再位置づけすれば、批判的にして創造的な継承だと思うし、応援するほどの力もありませんが、面白いとおもいます。それから頴原さんと豊川さんで千葉大の黄金時代がつくれそうです。