成都にて(11月5日~6日)

5日。5時起きはちとつらいなあと思いつつ、飛行機のなかで睡眠とれるから、まあだいじょうぶ。

成都では、国際交流部の伊さんが出迎え。四川省旅行社通訳の練さん、日本語上手すぎ。北京からそうなのだが、マイクロバスをチャーターし、案内していただけるので、楽である。ただそのぶん、効率的で密度は濃い。

「劉氏荘園博物館」では、遠目には教会にように見える駅舎が面白い。鉄道まで施設する。大土地所有者の地域振興=地域支配の構想力のようなものがうかがわれる。劉一族がいかに農民を苦しめたかの展示がすごい。「収租院」という税務署のようなものがあり、その担当者たちが農民をしぼれるだけしぼったのであるが、それをリアルな彫刻で、物語化したもの。1960年代に地元美大の先生と学生が制作。ヴェネツィアビエンナーレかなにかで国際的に評価されたらしい。60年代はラディカリズムの時代であり、制作年代は文革の直前なのだから、こういう抑圧と反抗というストレートな物語性をもった彫刻群となったのであろう。それにしても芸術に昇華するというより、直訳的である。

「建川博物館集落」とは、地元不動産会社パトロンの富豪が整備した、博物館パーク。テーマの違う博物館が数十あり、だから「集落」。日本流にいうと博物館「団地」であろう。そこの「中国壮士彫刻群」と、「日軍侵華罪行館」を見学した。後者はいわゆる戦争ミュージアムであり、日本軍の罪行が展示されている。兵士の遺品や手記や手紙などを丹念に収集したもので、個々の事実指摘には誤りもあるが、全体としては趣旨どおりか。入口出口は最終的に逆転したようだ。入口の中庭というか前庭には、日本人兵士の鉄兜が規則正しくずらりと並べられているのが圧巻。この場合、鉄兜は、かつて存在した兵士たちの、痕跡、輪郭、ぬけ殻、云々なのであり、その不在のありかたが過去へのイマジネーションをいざなう。ある種の不気味さを感じさせながら、重厚でもある。具体的素材を使いながら、観念的、象徴的である。出口では、帰国する日軍兵士たちと中国人たちが、それぞれの場所にもどる光景が、彫刻群として描かれる。物語的である。館長が、日本兵士の日記や手紙を収集しているお話をうかがう。

21時に錦江賓館にチェックイン。

6日。昼も夜も中華料理で飽食するので、このあたりから、朝は部屋に準備されているお茶とスナックで済ますようになる。

まず「都江堰」へ。ここには紀元前3世紀の治水事業を見学する。これは水流豊かな川に、支流を建設し、肥沃だが水資源のすくない広大な土地に水を導くことで、広大な地域の農地を整備しようというもの。季節により本流の水量は増減するが、それにあわせて、建設した支流の水量も調整できるようになっている。また土砂の堆積量もなるだけ軽減するような工夫、それでも浚渫する場合の手段など、重機のない時代のほうが、合理的にできている。この人工的に構築された水系にしたがって行政区域が定められたのであろうと推測する。

観光でもうけている小規模な都市というイメージであり、さすがに成都のような超高層はないものの、そこそこ大規模なビルはたっている。そうしたビルの、木製窓格子などには、おそらくここで伝統的な木造建築のディテールが継承されているような印象であり、建物のたたずまいはなかなかよろしい。

マイクロバスで「三星堆」へ。ここでは、20年ほどまえに発見された、5000年前の謎の文明にかんする博物館パークを見学した。ここは青銅による、さまざまなサイズのマスクが有名である。あるものは目が突出し、耳がやけに大きい。よく見える、よく聞こえる、ということは王であり神官であるような支配者のエンブレムなのであろうか。人がかぶるには大きすぎ、重すぎるので、木の円柱の上部飾りではないか、などと憶測が憶測をよぶ。個人的には、円柱型に大胆にとびだした目のある彫刻は、たいへん興味があり、これは人間の視覚のありかたそのものを意味しているのではないかと考えている。かつてメディア論やカメラオブスクラ、はたまたアナモルフォーシスが流行っていたころの問題群と連動しているのは明らかなようにも思えた。いつか話す機会があるかなあ。

ところでレリーフ状の地域模型を帰りしなに再確認する。すると川と、まっすぐな線分的に延びている土塁あるいは旧城壁(確認したが、現存するそうである)にかこまれた四角いエリアがはっきり読み取れる。こんなの航空考古学などと大騒ぎしなくとも、シンプルな地図を描いてみるだけで、そこが遺跡であったことなど、もっと単純にわかりそうなものじゃないか。およそ遺跡のあるいは歴史上の「発見」などというものは、すべて疑ってかかるべきで、じつは専門家たちはずっとまえから気がついていたんじゃないか、などと、ぼくは爆発寸前になる。まわりは偉い学者たちがいたので、すこしほのめかすていどに、とどめてやった。これもそれも、中国は奥が深いということなのであろう。

夜は四川名物の川劇を鑑賞する。これはマスクを瞬時に交換する、それも次々と交換し、みている者にはそのタネもまったくわからない、国家機密的な芸能である。音楽がなんどもやってくるクライマックスを盛り上げ、役者たちは見得を切る。すごい。「三星堆」でみた青銅マスクをも思い出しながら、マスクの意味を考察しつつも、まとまらず。またいつか考えてみよう。