北京にて(11月3日~4日)

北京で建築見学した。

ホテルは天安門広場や王府井のすぐ近くであった。

紫禁城はツーリストでいっぱいであった。とくにいうことはないが、いちどは見るべきということで。建築史の教科書では、清代には建築技術がより発展し、合理化され、大量生産が可能になったということが説明されている。つまり創造の緊張感なくどんどん建設できるようになったということ。こういう説明を読み取るときにはリテラシーがいるということである。

だから清代建築を西洋と比較すると、ビザンチン建築に相当するということも仮説としていえる。つまりギリシア、ローマ建築における、架構技術の発展、そこから様式の確立という、段階があった。様式がそこで完成された。それからさきはいわゆるデカダンスである。様式の起源である、架構、構築の記憶はなくなり、たんなるパターンとなり、グラフィックで表層的なものになってゆく。構築の表装化とでもいえようか。清代はそれである。(とはいえユスティニアヌス帝の時代はペンデンティブ・ドームという新機軸もあったのだが、それは古代ローマから引き継いだ様式とはうまく融合しなかったのではないか)。

夜は王府井の書店にゆく。建築コーナーは結構充実している。海外建築写真集、作家の作品集はかなり充実、さらに資格試験むけの各専門書も充実。ただその中間の、建築文化的なものは手薄な印象である。梁思成関係の文献も、あるにはあったが、ややさみしいかな。

ということでここで一泊。

翌朝、まず中央美術学院の美術館を参観した。地元産のスレート、鉄分がもたらす味のあるシミが印象的な、自由な曲面でゆるやかに覆われた空間であり、磯崎さんとしては北九州の図書館や奈良のコンサートホールの系統である。中央のスロープが全体をざっくり二分しており、いっぽうは吹き抜けの入口ホール、たほうは展示室である。磯崎さんの一面、西洋的なヒューマニズム、がよくでている。それから優秀な新しいキュレーターががんばっているということで、展示もよかった。文革賞賛の絵画は、そのサブカル的なタッチが、重いテーマをよみがえらせるための手法でもあるようである。

同学院の建築学科も拝見してきた。吹き抜けの製図室がよかった。

798美術街を参観。古い工場を改修したアート街で、中国的なまったり感と、アーティストの創造的熱気が不思議な融合をみせている。時間がないので、大展示ホールに古民家の構造だけを移築したものを、紹介されて見学。「貫」が特徴的。背の高い貫なのだが、上下に材を重ねた複合材である。上下に重ねただけでは強度不足なので、それらもまた垂直の貫で結合されている。つまり貫の貫という二重構造なのが面白い。中国建築はたいへんプラグマティックである。日本建築もそうではあるが、その実用性の現れ方はちがっていて、面白い。

中国国家博物館。旧博物館を増築したもので、その増築諸案の展示もあったが、選ばれたのはシュペアの息子であったという解説を、磯崎さんからうかがうのは面白い。長さ300メートルの入口ギャラリーは、なるほどブレのメトロポリス案にみられるような無限の彼方に展開する奥行きをあらわしている。乾隆帝南巡の展示を、オリジナル巻物とそれをCG復元したものと並行してやっていたのだが、さすがに壮大で圧倒的であった。帝国、新古典主義、無限性などというKWは、磯崎さんを刺激しつづけたものであるが、彼の建築ヒューマニズム的側面と同居しているという点が重要なのであろう。

そのあと天安門広場。ほかの団員は別の展示をみたりして、グループはばらけてきたのだが、磯崎さんと沈さんとぼくは、天安門広場へ向かう。広いので英雄記念塔の毛沢東がかいた碑文あたりを眺めるのであるが、磯崎さんからの解説は、天安門広場そのものの理解と、この建築家の理解、という二重の解読をしなければならないので、受け止めるのに時間がかかる。彼は、毛沢東の顔、碑文、遺体が一直線にならぶときの正面性の問題を論じた。ぼくとしては、さきほどの国博もそうなのだが、権力の表象としてある意味で抑圧的にして超越的な空間を望んだものであったが、現地に立って、やや拍子抜けである。人民大会堂はやけに優しい建築で、清代の建築が合理化の果てに建築としての根源的なパワーを失ってしまったことをそのまま引き継いでいるようにしか見えない。記念塔は広場の広大さにくらべて小さく、毛沢東の書を見るためには近寄らねばならないのだから、広さには対応していないようである。帰りしな、人々があつまっていたので、あれはなにかと沈さんにきくと、ポールに掲揚した国旗を下げる儀式がはじまるのだそうである。旅行ガイドに書いてあったなと思い出した。磯崎さんも見入っていたので、なにかアイディアを思いつかれたようである。そのほか、人民大会堂の建築家は早稲田大学に留学していたこととか、英雄塔は梁思成の一味がやったとか、過去にあったマスタープランのこととか、話題になる。