上海にて(11月7日~8日)

7日。朝の便で成都から上海へ。市内は霧でかすんでいるが、13年前もこんなふうであったことを思い出す。

昼食。上海の友好協会の人と挨拶。生まれも育ちも上海で、磯崎さんの上海パートナーである胡さん登場。今日一日案内していただくことになる。

里弄。復興路に胡さんの友人が住んでいたので、そのつてで、室内まで見ることができた。しっかりリノベして快適そう。ここの里弄は1920年前後の建設。近代住宅の歩みとして、ヨーロッパあたりの集合住宅と遜色ないどころか、同時代の日本が郊外戸建て住宅をめざしていた同時期に、ここでは都市型連続住宅にとりくんでいたわけである。当時としては、どこが最先端かわからないほど、実験のるつぼなのであったし、このまま続いていたらおそらく中国型の20世紀都市を構築していたであろう。しかし戦争と、中華人民共和国の成立。戸建ての屋敷にも、多くの人間を収容させた。それらはかえって住環境を悪化させたようである。それを思うと、西洋では諸実験のなかから、衛生設備の充実、核家族化、個人生活化という強い方向性にすすんだ。もし上海が、大都市的枠組みでそのまま進めばそうなっていたであろう。しかし政策的にしかたなかったであろうとはいえ、過密化したことが、建築遺産の継承を難しくさせてしまったようである。

団地。70年代のもの。これは日本にあるものの延長で想像できるたぐいのもの。ただしエレベーターなしは、日本では5階までだが、ここは6階まで。しかし敷地内に、小売り店舗や、生鮮食料品のマーケットがあり、活気がある。日本の団地は、居住以外の機能と組み合わせることに失敗したことは明らか、という感想をいだく。

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上海オーケストラ・コンサートホール。磯崎さんが得意満面であったのが印象的。かなり完成度は高いと思われる建築である。ぼく自身は手をうってみて「いい残響だ」などといえるほどの目利き(耳利き?)ではないのだが、音響、スケールの分節、素材、機材の隠蔽、などが円熟、洗練・・・などと連想させる。観客、聴衆にとってだけではなく、演奏者たちにたいへんよく配慮されている。プランはリニア軸の左右に機能を配置するやりかたで、前身の大分県立図書館を彷彿させる。

夕食。中国日本友好協会の副秘書長の程さんは語る。北京市の中央官庁移転プロジェクト、梁思成への共感、ワシントンDCのマヤ・リンなど。そういえば車中で梁思成が話題になったとき、梁とマヤ・リンは親戚であった。ワシントンDCのベトナム戦争メモリアルなどについて、程さんとぼくと意見が一致した。程さんはいいひとである。

8日、朝。1時間だけ町歩きする。里弄はけっこう残っている。それは20世紀初頭の連続住宅と、あたらしい商業ビルはけっこううまく共生している。

上海から東京までの空路はあっという間。羽田空港でほかの団員の先生方とお別れの挨拶をする。国内線にのりつぎ、帰宅したころには、夜も更けていた。濃い体験をさせていただき、感謝。