難波和彦さんの反論を読んでの感想

「神宮前日記」(8月8日と9日)にぼくの読書感想への反論が書かれているというので、読んでみた。
 再感想としては、難波さんの受け止め方がなにか変な気がした。

(1)「『本書の要約を試みるよりも、本書にはなにが書かれていないかを探ったほうが、その特性が際立つ』とした上で、〈人間〉と〈社会〉についての議論が少ないと指摘している点には引っかかる」という反論がのべられている。さらに人間や社会への言及が少ないのは、建築によってそれらを変えようとしているのだから、「当然のスタンス」だ、というのである。これはそもそも反論ではない。それらが述べられない理由を誠実に説明しているだけである。だから「『なにが書かれていないか』が重要だ」という愚説を、そのまま肯定している。ぼくがニュートラルに書いていることを非難とうけとってしまったのは読み書きの問題にすぎない。一件落着。
 ただ人間や社会を変革しようとしているからには、どのように変革しようとしているかは、やはり述べられるべきと思うが、どうだろう。手段と目的を反転させたは、結構。ではあらためて目的としての人間の変革ビジョンはなんだろう?

(2)ぼくが愚著で「自己言及的」について述べたことにたいして、「〈自己言及〉の論理は1930年のゲーデル不完全性定理の発見に端を発するが、それが一般に浸透したのは1960年代の〈言語論的転回〉を通してである」と反論としているが、これはおかしい。
 自己言及は古代ギリシアにおいてすでに、有名な「エピメニデスのパラドクス」すなわち「クレタ人はみな嘘つき」説としてあった。べつに古代哲学に言及しなくとも、およそ人間が言語活動をしているかぎり、言語が内在している基本構図として、自己言及などというものはいつでもどこでも普遍的にあったのである。ゲーデルがそれを高度に理論化したとしても、そこに「端を発する」のは学説であって、日常的な言語活動のなかではいつでもどこでも発生している。日常的に反復されていることに普遍的な構図を与えて説明するのが哲学であり、その学説が1930年であったとしても、自己言及そのものの初出が20世紀であるわけがない。
 ぼくが愚著のなかで「自己言及的な近代という時間」をいうにあたって下敷きにしたのは、(ゲーデルのかなり以前に)宗教社会学者エミール・デュルケムが提唱した理論である。彼は未開の社会における宗教のありかた(トーテム)を調査したあげく、神は社会であり、社会は神であるという循環を考えた。つまり社会やそれを構成する人びとは、自己を外部に投影して、超越的なものとして外在化・物象化して、ぎゃくにこの投影像により支配されているというように考えてしまうのである。つまり神とおもえたものは、じつは人間の自己投影なのであり、これが社会をして社会たらしめているという自己言及である。これが、宗教社会学者デュルケムが考えた、社会はいかに秩序をたもつかというメカニズムである(もちろんこれとて学説である)。ちなみにこれもまた宗教学、社会学の初歩であって、建築系にはなじみがないとしても、学説史として常識的なことである。
 「言語論的転回」も結構ではある。ぼくは1990年代に愚著『言葉と建築』によりそれを建築分野に応用している(かなり遅れてはいるがという意識であったが)。その転回がどうかしたのだろうか。

(3)8月9日版では「〈残像〉の後に住宅に〈聖なるもの〉が呼び戻されるとも思えないからである」とあるが、ぼくもそんなことは思ってもいないし、書いてもいない。だから「反論する気にならない」。「聖なるもの」は重要概念でありながら、19世紀・20世紀の建築史叙述において不当に無視されてきたので、その重要性をいっているだけである。
 それにしても相手が間違っていることが、自分の正しさを証明することにはならない。つまり、それでも近代住宅から宗教、信仰、象徴などが排除されたことは歴史的事実である。それがモダンであった。だから建築人類学を自称する研究者たちは、未開といわれててきた地域の住宅のなかで、いかに人びとが、神、祖先、象徴などと共棲していたかに注目して、調査を報告してきた。難波さんは反論においてもその重みを相変わらず無視している。ぼくの矛盾を指摘することで、この課題を隠すという、論理の飛躍と隠蔽である。

(4)難波さんに認識していただいたいのは、ぼくこそ、難波さんの言説を真摯にうけとり、そこから演繹して、その歴史的位置づけと未来への可能性を考えているということである。
 たいへん僭越ながら、建築史家として建築家をプロデュースするなどというえらそうなことを試みると、難波さんはまさに脱人間化・超人間化の住宅作家としてアピールすべきである。
 「核家族」概念がここで重要である。難波さんはなかなか「労働者」とか「核家族」とかを定義しようとしないので、ぼくがすこし補足してみよう。
 「核家族」は近代特有でもなく近代になって生まれたのではない。文化人類学者は、それは人類のさまざまな時代・地域にひろくみられる普遍的な形式であるとしている。その古式が近代にも出現したのである。だから「核家族化」なのである。イギリスの歴史学者ピーター・ラスレットも1980年代以前からすでに、核家族は歴史的に普遍的な形式だと指摘している。
 かつてぼくは黒沢隆の個室群住居について核家族という文脈であれこれ書いたら、黒沢さんからメールがきて、ピーター・ラスレットや核家族普遍説くらい当然知ってますよとさとされた。つまり、やはり常識だった。それは余談として、近代のなかには古式がさまざまな形で復活しているのように、20世紀の核家族化とは普遍的な家族形式の20世紀版だったと解釈すべきである。
 するとたしかに家族性も人間性もさまざまではあるが、レイヤーを調整すれば、時代を超越した人間性・人間像を想定できるはずである。建築家はなぜそのことをいわないだろう?
 20世紀初頭の近代住宅はまだまだ解明すべき点は多いとはいえ、そこで普遍的人間像が探求されたのは確かである。それはかならずしも20世紀初頭のみに妥当する人間像ではなかったはずである。
 そして最小限住宅/立体最小限住宅を基本スキームとするなかで、偉大な先人たちの提言のなかにすでに普遍的家族像・人間像は内包されているとしたら、まさに「箱の家」は普遍的人間像を潜在的にせよ内包した、基本をいじる必要はまったくない普遍的なものだ、と主張できるのである(ぼくは可能性をいっているだけで、ぼくが主張しているのではないが)。
 そして「残像」が普遍的という逆説がここで生まれる。残像とは持続する脳内イメージである。だからこそ時代の流れにそいつつ構造、構法、素材、環境、エネルギーなど、すなわち難波さんがいう「建築の四層構造」を、たえず更新できるのも、この基本設計の普遍性のおかげである、と立論できる。しかも家族論ベースの住宅論とは、基本的には行政学的なのだから、そこから距離をとった建築家の住宅論とできる。
 こうして、あえて人間に言及しないことも積極的な意義のあることとしてアピールできる。「語らないもの」のなかに真実がある、ということになるのである。