GA『ル・コルビュジエ 読本』

EDITA TOKYO様よりいただきました。ありがとうございます。

作品集とエッセイ集をかねた文献である。また建築メディアならではの作り方でもある。

学者目線でいうと初出をくわしく書いてほしいなとは思うが、GA誌に掲載された写真をふくめGAにストックされている写真がつかわれ、吉坂隆正のかなりまえの論文、磯崎新のすこしまえの論文、隈研吾や平田晃久の最近のインタビュー記事などをちりまべながら、住宅や、教会や、都市計画を論じてゆく。

GAの豊かなストック、内部遺産を活用した、煮込んだスープのような本である。建築界の成熟のひとつのありかたを示しているようでもある。

それとともにル・コルビュジエとは私たちにとって何者なのか、をといかける。多くの建築家たちが論じているのだが、面白い語りがしばしばそうであるように、彼らはル・コルビュジエよりむしろ自分を語っている。ル・コルビュジエ自身、二〇世紀の懸案の多くに懸命にとりくんできたので、また日本は彼の強い影響下にあるので、この建築家の枠組みの外にでて、対象化することが難しい。

ル・コルビュジエを歴史的に位置付けるには、まずいわゆる市民社会における建築界などものが一九世紀に形成されたことが前提であろう。彼はその建築界のなかで、対比的に自由な、ときに孤独な、立場をとることをした。そのために、いかに自分を鍛えるかをつねに考えていたのだろう。高額所得者であるプロスポーツ選手が、自宅にトレーニング施設を一式そなえて、身体のチューニングをおこたらないようなものであろう。独立事業者はすべて自律的にがんばらねばならない。

ル・コルビュジエの絵や彫刻はさほど評価されないように、彼の理論だけをとりだしても、そんなにおもしろいものはない。しかし色見本、寸法体系、などを自分なりに研究して発表するのは、宣伝とか、道具としてつかうかということではなく、そういうトレーニングをし、色、寸法、曲線、ボリュームを身体化する作業ではないかと思える。建築見学も、多様であり、どんな仕事がきても対応できるようにといった準備性が感じられる。

建築には本質がひとつあるはずだという前提があった、一八世紀の建築家たちとは、異なるトレーニングをしなければならない。ル・コルビュジエ(だけ?)がどうしてそのような自覚を持ち得たのだろうか、というのが興味深い。