「生活」は2020年を超えるか?

「カルチャー・ヴィジョン・ジャパン」なるものを拝聴した。建築系の講演会とはやや雰囲気が違ったが、社会勉強というものである。この歳になっていうのもなんだが、大人の世界であった。講演では、皇居前広場プロジェクトについて、趣旨説明、建築やアートの提言があった。垂直に点から降臨するモニュメントではなく、粒子化されたものの濃度がテーマになるアートは、ぼくが予想する粒子化、流動化の方向性とはパラレルであろう。まためぐりめぐって地方都市のまちおこしプロジェクトとも本質的に関係が深いであろう。政府もいろいろな方策を考えているそうである。2020年までがチャンスだ、と多くの自治体や地域が考えているからである。

ということで11月は日頃なじみのないものに首をつっこんでみたが、同時代に進行していることたちは、なんらかの関連がある。「生活」ではないか、という仮説のもとに、整理してみる。

11月13日パリのテロは、スポーツ観戦、コンサート、グルメといったものに代表される生活への攻撃であった(1月のテロは市民的公共圏へのそれであった)。ヨーロッパ圏内で生活が成り立たない市民が過激化し、中東を経由して、凶暴化して回帰し、確立された生活を標的にする、非対称な国際関係における非対称な復讐という様相を呈している。

これを俯瞰するに、20世紀が市民的生活を普遍化しようとしたのにたいし、新自由主義経済とグローバル化は、この平等主義を否定したが、ここで周辺化された人びとのなかからそこで確立された「生活」を破壊しようとする者があらわれたのである。

背景はずいぶん違うが、2011年の大地震は、生活そのものを長期に広範囲に破壊したという点で、危機的なのである。

フランスでは、革命いらいの社会構築のプロセスにおいて、新たな公共圏とそこでの市民的生活を創出するのに、長期間を要したが、それが都市文化となって、今日では文化全般の展開やツーリズムの対象にまでなっている。日本では、伝統的な生活の美学があり、なおかつ近代化のプロセスのなかでも、生活を向上させることが、国力状況につながるという総力戦的発想、さらには文明論的に価値あるという発想が生まれ、政策や市民運動にまでなった。

それとは次元が違うのだが、成都近郊の戦争博物館の館長が、日本兵の手記、日記、手紙などを収集し、そこに記述された、市民的な生活への復帰の願望に感心するとか、アメリカ人の日本文学研究者が、やはり日本兵の日記に感銘したり、谷崎潤一郎が戦争中に書いた『細雪』『疎開日記』のなかに日本の美しい伝統的生活様式が執拗に描かれていることなどは、困難な状況のなかで破壊されてゆく「生活」の懸命の理想化なのであろう。「生活」とは、現実的で些細なことのようでいて、じつは形而上学的ですらあり、大きな理念を表しており、ときにはメタフォリカルでさえある、とも考えられる。とくに日本は、それこそ古代文学から「日記」が重要な位置を占めており、たんに即物的な衣食住に還元されえない、それら以上のものでもある、人間存在のあらわれの形式としての「生活」というものを前提にすえると、ばらばらにみえたものが、まとまってゆくようでもある。

成長の限界、やがては人類人口の減少ということが予想されている21世紀の地球は、コンパクト化することで調和がとれるなどと楽観視はできないわけで、成長により生活が安定するという処方箋にはもう頼れないという、きわめて困難な状況をもたらす、ということが論理的にいえる。

そういうことを考えれば話題になっている皇居前広場プロジェクトにも方向性が与えられるかもしれない。つまり関東大震災のあと多くの人々が避難してきたとき、そこは生活再建の出発点となっていたわけだ。するとこんどは2020年、地球規模の困難のなかで、新しい社会、新しい生活のなにがしかを、示す、一方向ではなく、多方向、相互方向的に示す、などが考えられる。そういう意味では、群魚、群鳥のアート化なども、あらたに再構築されるべき社会とそこでの人間の生活のメタファーとなるであろうし、強いモニュメントを置くのではなく、少しずつ性格の異なる領域に分節化するという建築家案も、可能性に富んだものになるであろう。それはひとつの社会モデルのメタファーになりうる。

いずれにせよ、高齢化、人口動態、雇用、総生産などというのは指標たちであり、指標のひとつひとつに対応することは、切実だが、全体的な展望は生み出さない。そうした指標群によって浮かび上がってくるのはじつは「生活」であって、このしみったれた印象をあたえる言葉もまた、21世紀に再生させなければならないかもしれない。