宗教建築研究の新しい可能性

工学部一号館というところで、専門が近い研究者数名で話し合った。具体的には、19世紀の宗教建築は、建設や管理運営の主体が宗教団体ではなく、国や自立的な世俗アソシエーションであることがおおく、そのことの歴史的な意味をさぐろうという主旨であった。フランスを専門としていると隣の国にはうとくなるのだが、ドイツやイギリスの場合もかなり平行現象がみられることや、日本を代表する教会建築家によるリアリティにもとづいた指摘からも、たいへん勉強になった。全体としては19世紀に限定した話であっても、現代の教会建築設計における諸課題と地続きであるというようなこと。全体としてたいへん成功であった。

とくに面白かったのは、政教分離というような構図のなかで、広島平和記念聖堂と広島ピースセンターとの関係である。前者はコンペ不調で村野藤吾が設計、後者は丹下健三による。いままでは建築史の作家論的な視点から論じられることがおおかった。ところが宗教論的には、前者はカトリック直営、後者はいわば世俗社会によるもの、と大別できる。このような聖性関連施設の付置のなかに、現代におけるモニュメントの課題が表現されているように思われる。すなわち一個一個の祈念碑をイコノグラフィックに解題するだけではみえてこない問題がある。それらが都市のなかにいかに分散され付置されることで、総体として、たんなる算術的加算以上のものを意味するようになるはずである。これは都市の再考になるであろう。

目黒美術館では村野藤吾展が開催されており、この記念聖堂の模型を展示されているのだが、宗教性の目線ではこの聖堂はアポカリプス、つまりこの後はない状況を表しているにもかかわらず、建築は優しく、厳しいまでの聖性はあまり感じない。それでは最初のコンペにおいて丹下案が宗教的超越性の不足により2位にとどまったことをどれくらい克服しているか、こんどは建築的価値観からはどうであろうか、と思う。それを考えれば、丹下がそののち超越的なもの、象徴的なものを探求して最後は東京カテドラルに到達するのは、感動的ですらある。それをある人は、戦前の都市プロジェクトと関連づけて、国家主義的ではないかとほのめかすのだが、それも一方的であろうと思う。