佐々木翔《あたご保育園》

佐々木翔はごく短期間、ぼくの研究室にいたので、あれこれいうと結局は親馬鹿的になるかもしれないが、《あたご保育園》はなかなかよかった。

SDレビュー賞も受賞して、おかげでわが研究室OBで同賞受賞は、4回にして3人という好成績であり、これは大学の建築系研究室としてはかなり平均以上であるし、やはり優れた建築家が出て結果的にあの研究室はよかったのではないかということになる。ありがたいことである。

今年はその佐々木翔を非常勤講師として招聘して、学生を指導してもらうのだが、若い伸び盛りの人材に、実作見学、エスキス、講演+スライドショーなど一式やってもらう。学生には現在進行形感がたいせつなのである。

成果をあげている若い建築家たちを学生時代からみていると、やはり彼らは、自分のモチーフや方法論や形式などといえるだろうが、コアになる部分をもっていて、それを授業、コンペ、実作のなかで鍛え続けているということは共通している。ひょっとして融通がきかないのかもしれないが、ひとつの軸、ひとつのフィルターをとおしてさまざまな課題をこなしてゆくことも、なるほどいいアプローチと思える。

彼のアプローチは、すこしおおげさだが、ドゥルーズ『差異と反復』のようなものといえる。もちろん建築家が、構造、力、フラクタルリゾームなどそもそも哲学では比喩としてつかっていたものを、そのまま直訳してしまうことはしばしばあるが、しかしそれはそれで、解釈である。

たとえばグリッド平面、アーチ構造を単純にならべる(建築はそんなものである)。それを20世紀的な機械的反復とすると、冷たい合理主義になるが、均質部分+αで、αにバリエーションをもたせれば、その直訳的な差異と反復は、建築的レベルにおいて、さまざまな印象、使い方、結果的構成をうみだしてゆく。佐々木翔はそのことに自覚的で、学生時代から、さまざまなバリエーションを生み出し、その形式性をとおして、さまざまな意味を発生させる、派生させる、浮上させる・・・ことを試みてきた。またそういう姿勢を、まだ2年生の学生のまえで、立派に示してくれた。教育効果も絶大である。

《あたご保育園》は長崎らしい、山の中腹の、斜面にたつ。吹き抜けギャラリーは、けもの道をなぞり、アーチは等高線かひな壇にそのまま沿いつつ並び、アーチごしに違うカーブのアーチを眺めるという、室内化したランドスケープを演出する。図式的にはシンプルなのだが、そこにバリエーションが浸透している。郊外型大型店舗、ファミレス、建て売り住宅が混在するなかで、この建物だけは、意図的な方法論のゆえに、かえって自然と地形を表現し、長崎が坂の都市であることを実感として再認識させる。中央ギャラリーを上れば、背後の竹やぶの青が鮮烈である。世界のなかに別の世界、というか、世界のなかに、引きこもるのではなく、その世界そのものをさらに純化した、そういう意味での別の世界をつくる、そういう建築のレベルに到達している。