『豊饒の海』

ふと思うことがあって、三島由紀夫の遺作を数十年ぶりに読んでみた。

豊饒の海』というストーリーは輪廻を枠組みとし、19年周期で、本多繁邦の19歳、38歳、57歳そして76歳を描いている。主人公は、死を見つめる。

「ふと」とは、金沢の近代日本建築展によせて、磯崎新が4題噺を展開していることを知ったことによる。すなわち堀口、丹下、磯崎、妹島が、20年周期で、1935年、1955年、1975年、1995年に岡田邸、広島、群馬、岐阜に「わ」空間を実現したというあらすじである。かつての和様化論がさらに肉厚に展開し、より適切なバランスを保ち、飾られている。西洋的で直線的な時間概念ではなく、また発展的な段階論でもない。はたまたたんに東洋的な循環論とも即断はできないであろう。それら異なる四つのは「時」は、同じとも、似ているともいえるが、元素記号にまで還元すれば同と異の区別もまた無意味になってしまうような悟りとなってしまう。

些末事ではあるが、『春の雪』の悲劇的恋は、堀口捨己の岡田邸にそこはかとなく連なる。もちろん貴族の若者の、階級的義務と個人的感情の葛藤は、それはそれである。近代ブルジョワの、市民的倫理と花柳界的遊戯のあいだの葛藤とは、ちがうといえばちがうが。

奔馬』の右翼的純情は、政治色を脱色すれば丹下健三の広島がもたらす感情とは親密な関係にある。純粋であること、美であること、そのことにすべての存在は依拠しているという意識である。

暁の寺』において、本多はタイやインドで仏教的世界の根本をつかもうとするが、その濃厚な都市描写を割愛しても、いくつかの書評にあるように仏教的な唯識論を、読者になりかわって学習すると読める。この唯識論とは厳密には違うのではあろうが、主題の不在という主題、建築を行政的プログラムから切り離し、芸術としてとらえようとした、いやそのまえに芸術をリアルな画商的世界ではなく建築家が自らを支えるために捏造した「識」の世界のものとしてとらえようとした、とすれば、群馬はどこの世界に所属するのか一瞬、判断を迷うような、暁の寺であるとも思える。

はたまた『天人五衰』の、ひたすら見る、観察者の客観と欲望のようなものは、妹島建築のなかにひそやかにしのびこまされているような気がする。しかし第一話の聡子であった門跡が、本多の目撃した四回の循環はすべて「心ごころ」でしかなかったという指摘は、三島の最初の構想ではなかったとしても、第三話からすなおに引き出される終わり方である。主人公はすぐれた観察者であったが、失明してしまうことでまずコアとしての物語は終わる。観察者はまず滅亡する。その滅亡をかかえ、本多は四循環を確認するために門跡に会うのだが、そこですべては「識」であるという内なる哲学を、外から確認されてしまうのである。

とはいえこの終わり方は、8月15日のそれに似ている。三島はようするにこの「時」を、まわりくどく、装飾ゆたかに、濃密に、しかしどこまでも間接的に、描こうとしたのであろう。歴史的な、あるいは国家的な時を、個人的な時に還元し、どうじに仏教的世界観における時にすりかえてゆくのである。おそらくそのとき、存在者の連綿からなる因果関係による西洋的な時ではなく、無関係、不在、雲散霧消、からなるまことに不思議な日本的な時、そして歴史、がこれまた美しく捏造されるのであろう。

さらに「とはいえ」、建築家と作家は異なる。こうしたループのさらに外側に出ようとする。あえて快楽主義的でもあるかのように。