不惑とは

論語では40歳のことだといいたいわけではない。そもそもぼくには手遅れである。

丹下健三のことを考えているうちに、彼は42歳で広島ピースセンターを、43歳で香川県庁舎を竣工させている。

すこし脱線すると三島由紀夫が自決したのが45歳である。数年は誤差とおもえば、まあ不惑+αである。ことの是非はともかく、彼が25歳であったら行為に重さはなかったであろう。

20歳、30歳は専門家としてはあまりに経験不足で、観念は革新的であっても、実践まではそうはならない。それが不惑くらいになると、実践力と観念力のバランスがとれて、断固として革新的なものを、具体的なかたちとして残すことができる。

ただいろいろ拝見させていただくにつれ、やはり人生にとってこの時期は重いようである。成熟するのも、老成するのも、あるいは水平飛行にうつるのも、この時期にしっかりやったからこそである(それにつけても、ぼくには手遅れである)。いわゆる大作や傑作ではなく、射程距離の大きい、問題提起に満ちたことを、という意味である。

というわけでこの2015年になにかを残すかもしれない建築界のあるいは建築史上のホープは、1970年から1975年生まれの方々のだれか、ということになる。個人的にはいくつか名前を思いつくが、そんな予想をしてもはじまらないから言わない。

とはこの個人的時間が、歴史のサイクルと同期するかどうかである。