重松象平「建築的思考の可能性」

竹中工務店九州支店設計部から「TAKENAKA DESIGN WORKS vol.32」がおくられてきました。ありがとうございます。じつは東京本社からも毎号いただいており、こんなことを書くと、どちらかいっぽうからは送付を中止されるのではないかと心配だが、こころより感謝しております。

表題はその巻頭インタビューである。ぼくが赴任したころ、重松さんは隣の大学の学生で、まだ仙台の卒計日本一がなかったころやっていた大学間合同卒計ジュリイで、話したことがあったそうだが、昔のことで、記憶にはない。とはいえ情熱大陸に出たり、有名建築家になったのはご同慶の至りである。

記事のなかで初期モダンの「マニフェスト的建築」と、コールハース以降の「オブザベーション的建築」を区別していたのが印象的で、まあそのとおりである。

ぼくなりに言い換えると、それは公共事業型と民間事業型、大きな政府型と小さな政府型、福祉社会型と新自由主義経済型の違いであろう。これらは漠然とした背景の違いというものいいである。

それ以上に、モダンの本質であろう。つまり20世紀初頭のモダンは、それまでの古典主義や折衷主義などをひっくるめての歴史的プロセスを、観念的にあるいは方法論的に、リセットし初期化し、技術と社会についてのシンプルな与件にたちもどり、ゼロから構築した。もちろん歴史的連続性がまったくなくなったのではなかったが、すくなくともそういう建前であった。1970年代、それへの反省があり、歴史的連続性が重要視された。しかし歴史的連続性などというものも観念にすぎず、切れるときは切れるものである。

ではコールハース以降はどういう説明をすればいいか。それは初期化し再スタートした最初のモダンが、完成され、恒常的なものになる、というのではない、ということである。つまり時間がたてば、あるいはプロジェクトごとに、初期化し再スタートする、というプロセスがはてしなく繰り返される。この繰り返しにはゴールがなく、延々とつづく。そういうことである。それはシジフォスの神話であり、モダンの悪夢的な全面肯定であろう。モダンは否定されえない。しかし自らの毒により、健康にもなれば病気にもなる。モダンは希望ではなく、たんなる呪いであった、というわけである。そこにおいて、たとえば進歩、などという近代の神話は否定される。今ないのは、こういう状況を納得させる、新しい神話なのであろう。