『丹下健三とKENZO TANGE』

オーム社より標記文献をいただきました。ありがとうございます

編集の豊川斎赫さんが丹下研究室、ウルテックなどに在籍した48人の弟子たちに7年かけておこなったインタビューをもとした大作で、3段組で1000頁ほどもある。

じつは2週間ほどまえに届いたものと記憶しているが、組織のことで忙しくてじっくり読む気になれなかった。それも一段落し、10月以降は管理職からひさしぶりに解放されるような状況となって、落ち着いてすこし読んでみた(人間というのは勝手なものである)。

話題、図版、写真も初出のものも多いように思え(いちいち確認するのもむつかしい)、さらにはモノグラフではあるが、丹下健三というひとつの対象を、多くの証言者から複眼的に再構成してゆくやりかたは、事件調査的な、現場検証的なやりかたであり(事故調査報告書が面白いのに似ている)、単独視点からの歴史小説よりも、よっぽど読みごたえがあるということがわかる。

伝統論、ロマン主義、経済(テイクオフ論)、構造主義などといった主要な視点そのものは、もはや初出のものはないであろうが、その背景により広がりが与えられている。

ただ建築史という視点からするとどうであろうか。歴史とは対象との距離によって成立する。そうすると本書は、生誕100周年という企画ではあるものの、むしろ臨場感あふれるドキュメントであり、あくまでなまなましい。弟子たちも高齢に達しているのでより率直に語っており、なおさらである。

丹下健三じしんが建築を、社会や経済といった指標で語ろうとしており、その意味で、建築史家の視点を先取りしているということもある。丹下から距離をとるには、まったく別の枠組みを想定しなければならない。もちろんロマン主義も、離陸論も客観化できないというものではなから、あとは建築史家の度胸しだいということであろうか。

ただやはり本書の「なまなましさ」を感じると、20世紀の日本建築を歴史的に描くことは、かえって遠のいたという印象をもつ。数年前の『建築雑誌』特集で、日本建築の20世紀通史を書けないアポリアを指摘したことがあったが、本書はその困難をますます加速させているかのようである。もちろん機が熟するのを待てばいいだけなのであろうし、急ぐことに本質的意味はない。しかし構想の対象ではなく情報の海となっている現代、脱構築しようにも構築の対象がそもそもあるかどうかわからないぼくたちの現実のまえでは、批評というより現実の強化となっているような印象をうける。

そこでどうするのだろうか。

グローバル化によって建築でも同じ情報が世界中で共有されているとはいえ、「共有」にはある種の様式があり、そこに地域差がある。西洋では古典古代、ルネサンスという遺産があり現代の建築論もそれにより領域を確定できるようになっていて、良くも悪くも、ひとつの大陸を共有している。つまり1980年代にいわれた大文字の建築、《建築》というようなものは、理念ではなくむしろ現実である。

いっぽう日本は、キャッチアップのために古代的なプロトタイプを構想したり、いくつかの審美的概念を創出して日本的な枠組みを構築してきた。しかしそれらは西洋基準にあわせるための枠組みであり、ときには遡及的な構築でもあった。建築という言葉が翻訳語であるいじょう、背伸びは不可避である。

というような意識で『丹下健三』のページをめくっていると、西洋建築のような普遍的概念をベースとする歴史叙述ではなく、この巨匠をコアにして、近代を再構成し、建築的思考のベースを整理してゆくことそのものを「建築」として措定するというようなことさえも選択肢かな、とさえ思えてきた。おりしもぼくは、前学期最後の授業で「妄想・夢想・構想」の3段階論(もちろん武谷三男を考えたのではない)を学生に説いて、妄想をいかに飼い慣らすかをいったばかりであった。だからあくまで妄想ということなのだが、巨匠の神格化に建築の基礎をおくことは、じつは国家や民族の起源よりもずっと安全なのではないか。

ようするのぼくたちは健三の息子たち・娘たちである、としたら?巨匠の神格化をベースにする建築理念とは、ある種の宗教のありかたに似ている。

そこで「建築」はどうなるかというと、ギルド化する。村松貞次郎の建築家山脈を高度化したものとなる。日本の建築スクールは、本書のフォーマットにより、それぞれの神話を構築する。大学の建築学科のなかで生き残りそうなのは、そうした自己神話化ができるところというのが条件のひとつであろう。本書はそういう意味でもプロトタイプである。