Vatican II, 50 ans après

バチカンⅡから50年』

という文献を見つけたので、ぱらぱらとめくってみた。そういえばそうなのだが、第二バチカン公会議は1962年から開催されたが、それから50年たった。そこでこの50周年にあわせてバチカンⅡ本のラッシュなのである。パリ市内の宗教図書専門店にいってみるとたくさんの種類のバチカンⅡ本があった。本書はそのなかのひとつである。

建築でもそうであったが、1960年代というのは「危機」であった。それまでの伝統的な建築観がもはや成立しないという意識があった。だから建築家たちはきわめてラディカルになった。

 
それは全般的な社会の危機、近代の危機のひとつのあらわれであったが、とうぜんカトリックもそれを意識した。だから本書では「カトリックの危機」への反応が、この公会議であるとしている。60年代を生きた経験のある人びとなら(といってももう老人なのであるが)、たとえキリスト教徒でなくとも、その危機感の延長上に、その「危機」を実感し共有できるはずである。

本書では、この公会議の本質は、これまでの公会議とは違って、厳格な教義を定めることそのものを拒否したこと、現代社会をまず肯定すること、垂直的なヒエラルキーではなく水平、分離ではなく和解を旨とすること、といった全般的なことが説明されている。さらに、とくにライカ laïcatが重要テーマであったことが再確認されている。

ここでフランス語の用語は邦訳するのが難しく、説明を要する。laïcatは聖職者ではない一般信徒という意味だが、laïque(laïc)は一般信徒、非宗教の二つの意味があり(辞書的には「非宗教」だが本来は「非カトリック」ではないかと邪推する)、laicïtéは非宗教性、世俗性、政教分離を意味する、というわけである。つまり一般信徒/非(無)宗教者は言葉の上で、どう定義されているのだろうか、というのがわかりにくい。

これはおなじライシテ(世俗性)を、共和国から論じるのか、バチカンから論じるかで、(矛盾はしないと思うが)論じ方が違ってくるのであるというふうに理解できる。ライシテとは宗教の否定ではなく、宗教が展開される空間の規定(つまりある宗教の信者であっても、公共空間では宗教に触れないし表現もしないのがライシテ)なのであるし、バチカンはそのことを知りつつ明記しないで、一般信徒の課題として議論しているように見える。

ともあれこの公会議は、日本で教会建築を研究している人にとっては常識に属することなのであるし、ぼくはそれほど教会建築を勉強しているわけではないのだが、公会議の影響で教会空間が変わったというより、西洋的文脈ではさまざまな変化をどう整理するかということで公会議は開催されたのであって、教会建築においても、あたらしい内部空間の形式がさまざまに試みられてその結果、バチカンⅡによって新しい方向性が認められたという構図は押さえなければならないと思われる。日本からみるとバチカンⅡは新しい教会建築の原因であるが、ヨーロッパ的文脈ではその結果であるらしい。