ラブルースト展とバルタール展

パリ滞在も終わりに近い週末、建築展をみにいった。

シャイオ宮ではラブルースト展をみた。留学時代、旧国立図書館で閲覧していて、あのベンヤミンもこうしていたのかと子供じみた感慨にふけっていたので、思い入れはあった。しかしやや期待はずれであった。もちろんデッサンはうまく、古代建築の復元も美しく、古典の基礎の上に図書館というあたらしい建築プログラムをフランス合理主義の伝統のなかで実現したし、サント=ジュヌヴィエーヴ図書館も国立図書館も傑作である。後者では、閲覧室(鉄骨造を古典主義で表現)と書庫(むき出しの機能主義的鉄骨造)という対比も面白い。ただ展覧会の内容が、ラブルースト=前近代建築、つまりヴィオレ=ル=デュク、ド・ボド、シカゴ派の先駆者といった位置づけで、歴史観としてまったくつまらないと思ったものであった。

オルセ美術館ではバルタール展であった。旧レアール(中央市場)を100%鉄骨蔵で建設し、そのほかにも主要な教会堂をやはり新しい構造で建設した。バルタールのデッサンも絵画も展示されていたが、絵描きとしての才能もはっきりラブルースト以上で、こういうふうに残酷に比べてはいけないとも思ったものであった。これまでラブルーストというと、オスマンと学友であったというコネをいかして、第二帝政時代に公共建築を多くてがけた巧妙にして幸運な建築家というイメージが流布していたきらいがある。しかしこの建築展にあるような膨大なデッサン、絵画、写真、図面などをみると、やはり才能なのである。レアールにしても、石造の鈍重な初期案を建設しておいて、ナポレオン3世が「傘があればいいのだ」というと、ウルトラモダンな軽快な鉄骨造のパヴィリオンで大空間を包み込んでしまう。こうした芸当が、モダンの立場から、仕事ほしさの無節操な折衷主義として揶揄された。そうではなく、彼は大胆にギアチェンジし、クリエイティヴな才能を極限まで展開したのであった。

ついでにクールベの《オルナンの埋葬》など(いろんな意味が埋蔵されている)や、セザンヌの絵(色がよかった)を見てきた。

それにしても人が多くてまいった。