Ma liberté, c'est la laïcité

 『私の自由、それはライシテ(世俗化)』

ラ・ユンヌ書店にいってみたら、ルイ・ヴィトンのギャラリーになっていた。サン=ジェルマン=デ=プレの書店文化も終わりかと思ったが、すぐ裏に引っ越していた。棚間のスペースも広がり、むしろ快適になっていた。ル・モニツゥール書店オデオン店のように消えてしまったかと思ったが、よかった。
上記文献を見つけたので一読してみた。ライシテといってもなかなかわかりにくい言葉である。基本的にこれは、フランス革命ののちの共和主義という枠組みのなかの宗教概念であり、その文脈をしらないで理論だけで理解しようとしても難しい、というわけでぼくの研究室の学生たちも苦戦していた。それはともかく、ライシテとは原理主義でもなく、宗教弾圧でもなく、政教分離そのものでもなく、まさに共和主義をして共和主義たらしめているような原理である。

著者の説明によれば、宗教的原理主義、グローバル経済化などで他者への不寛容が支配的になり、宗教そのものがセクト化しつつあるこの現代において、ライシテの危機が叫ばれているが、それはライシテの基本精神がまだまだ理解されていないからであり、いまこそライシテを正しく認識して広めようという主旨の文献である。
 
内容はよく整理されており、ナポレオンと教皇のあいだの政教条約は言及されていないのは不思議だが、人権宣言、共和国憲法での規定、1905年の政教分離法、ヨーロッパでの規定などをふまえ、その条文をきちんと解説しつつ、ライシテは信仰の自由を認め、宗教を認めつつ、個人の精神の自由を認めようとするものだという基本的なことをくりかえし主張している。

この内容はいたって基本的であり、翻訳や日本人研究者が報告していることをおおきく越えるものではないが、しかしこの2012年末の時点で、共和国の基本理念に立ち戻ろう!ということが叫ばれなければならない状況である、ということである。
3年ほどまえにイスラム教徒のスカーフ問題を契機としてフランスのナショナル・アイデンティティを議論しようと提案した閣僚がいたりするいっぽうで、ヨーロッパ内ではスエーデンやノルウェーのように最近、国教制度を廃止したような例もある。またフランスでは政教分離法が公布された1905年12月9日にちなんで、この日を「ライシテの日」にしようという運動もあるらしい。

問題の核心はこうではないかと思っている。つまり、

宗教=個人の内面=私生活という私的空間
ライシテ=個人と個人の間=公共圏・公共空間

という領域区分をすることが基本になっている。こう区分することで、他者の内面を尊重することが、他者の宗教すなわち信仰の自由を守ることが保証され、宗教的無関心すら許容され、文化的多様性がまもられる。そして著者たちが理想とするライシテ=「多様性のなかで共に生きてゆくこと」が保証される。などということに単純化してゆくと、ハバーマスのいう「公共圏」に近づいてゆくのであるが、彼のいう公共圏は、専門家の指摘によれば、たいへん特権的なものであったのらしいのだが。
ところで読んでいていまひとつわからないのは、あるいは筆者たちの論理構築でひとつ欠けているのは「共に生きる vivre ensemble」の「共に ensemble」はわかったようで、じつはよく定義されていないのではないだろうか、ということである。つまりライシテが成立している社会はおそらく共に良く生きられているのであろうが、どう共に生きればライックな社会になるかということがよくわからない。つまり理想にいたるための道筋が、この外国人(ぼく)にはよく見えない、ということである。これは絆というKWで自分たちの社会のあり方を構想するとき、じつはその理想型が描けていないということと似ている。「友愛」の国であるはずのこの国のひとびとは、描けているのだろうか?