辻泰岳『純色の戦後----芸術運動と展示空間の歴史』2021

 水声社よりご恵贈にあずかりました。ありがとうございます。
 最近、西洋では展覧会そのものをテーマとする文献が散見されるにようになったが、本書はそのテーマを日本の文脈で展開するものである。たいへん斬新であり、多種多様な資料を横断的に読み、ときにはオーラルヒストリーも展開する、多様で、具体的で、わくわく感に満ちた、刺激的なものである。著者自身の関心がしだいに多様化し、展開し、建設的に拡散している雰囲気が感じられる。そういう臨場感があるので読みごたえがある。
 たほうで、研究の枠組みや、諸概念の整理整頓においてはまだまだ望まれることが多い。建築展というテーマはぼく自身も考えてみたかった重要なものなので、けっして批判ではなく、著者と併走するように、私見も述べてみたい。
 拙ブログは内容紹介を丁寧にするほどのものではないが、研究対象としては、Japanese Household Objects(1951)、国立近代美術館の成立(1952)、メキシコ美術展(1955)、二〇世紀のデザイン(1957)、Visionary Architecture(1960)、空間から環境へ(1966)、モントリオール万国博覧会(1967)、大阪万博(1970)などが取り上げられている。それらは伝統、デザイン、環境という3つの大概念の相のもとに分析され、さらに「国家」的論理の浸透、世界とりわけアメリカとの文化的関係性、「芸術の総合」という理念、などの観点から考察したときの位置づけが指摘される。それらは敗戦から1970年代における消費社会の成立という、きわめて特殊だがしかし現在を決定づけた重要な時期の、それこそ歴史的意義を明らかにしようとしているように、思える。
 しかし読了後の感想としては、やはり枠組みが不明瞭ではないかと思える。
 それをいうためにぼく自身が考えていることを述べてみよう。展覧会とはすくなくとも近代においては、ある観点のもとに集められた作品やその表象が、一時的だが具体的な場をつくり、それを不特定多数の観衆が自由に受け取り、感想をいだく場である(著者はそれを「展示空間」と呼ぶのだろうがまだまだ説明不足である)。そこには企画者、立案者、キュレーター、専門家、建築家、観衆といった異なる人びとが、政治、外交、経済、文化などさまざまな思惑と利害を投影しつつ参画する。そう考えてみれば展覧会では、さまざまなベクトルがブラウン運動をへながら最終的にはひとつの展示という合力として編集され、そしてそれへの反応はふたたび受け止め方のベクトルの拡散となって現象するのである。そう考えれば、確かに展覧会は空間なのだが、その空間のなかでなにが発生しているかを考えれば、むしろそれは「交差点」ではないか。まさに空間的表象としては交差点ではなかろうか。
 そうした展覧会特有の場の構図から、固有の困難があると考えられる。それは「展覧会というテーマ」と「展覧会で論じられたテーマ」の区別である。本書ではそれが曖昧である。たとえば国家、諸芸術の総合、デザイン、環境・・・などは重要なテーマである。しかし20世紀日本におけるデザインや環境の概念の形成と発展を考えようとおもれば、展覧会はいろいろな素材のなかの一要素にすぎない。たほう「展覧会とはなんぞや」を考えれば、展覧会ではあれもこれもいろいろ話題になったにすぎず、それら要素テーマの総和が展覧会になるとも思えない。いいかえれば「論争の場」を論じているのか、「論争」を論じているのか、どちらだろう?あるいは「展覧会そのもの」と「展覧会において論じられたこと」はとうぜん重なるとはいえ、位相のちがう、別のレイヤーにおいて考えねばならないのではないか?そして国家、芸術の総合、環境、デザイン・・・を考察するなかでは、そうした区別がなされていないように感じられる。
 笑い話だが、ぼく自身は、まさに一九六〇年代的思潮のなかで検討された芸術の総合、環境、デザインの概念を、アカデミアや文部省の官僚たちが活用して設置した九州芸術工科大学の環境設計学科というところで教鞭をとったことがあるので、その意味も限界も骨身にしみているのであるし、まあ苦労させられたものであった(あくまで笑ってほしい)。
 さらに、本書の企画枠組みを超えることまでいうと、私見によれば、著者のいう「展示空間」とは、ハーバーマス的な意味での「公共圏」ではないかと思える。すなわち制度空間でもなく私的空間でもないが、両者に関連し、両者を接続しうる第三の空間のことである。建築展でいえば、そこには一般市民とまでいわなくとも、建築界の人びとが自由にやってきて、自分が関与しているのでもない建築プロジェクトや建築提案について知り、感想をいだくことができる。そこには狭い当事者をこえた主題の共有がなされる。それがある種の公共性を生むのである。
 こうした公共圏としての展示空間がいつできたかというと、これも私見によれば、19世紀中盤の西洋における官展(サロン)である。本書では戦後の30年間に集中しているのは、やはり、前述の展覧会というテーマ/展覧会で論じられたテーマの区別があいまいという感想をぼくにもたらすのである。もちろん日本建築に与えたインパクトということで重要な時期であったことは認める。ただ、建築展の歴史全体にかんしてまとまったイメージをもっていれば、時代設定もまたより明快になるのではないかと思う。
 さらにいえば、国家の文化政策に集約されかねないヨーロッパ的展覧会のありかたを、より自由にオープンにしたのがアメリカのMoMAなどである。そこでは強力な財力と、それがもたらすキュレーションシステムにより、20世紀の建築トレンドが発信されたのである。建築においても20世紀はアメリカの世紀であった。その(固有性ではなく)世界性としてのアメリカ的なものをより対象化することを最近の若手もじゅうぶん気づいているようだ。もちろん本書の多くの場所でも国家、国際、世界といったことが考察されている。しかし漠然とそういうのではなく、むしろ世界の構造あるいは構図というところまで踏み込んではどうだろう。世界のモードは、NY、パリ、ミラノが支配しているように、世界の建築にもそういう構図があるであろう。それを先進国/後進国、西洋/非西洋というようなベタな構図にいつまでもしがみつくのではなく、より対象をクリアに見るべきであろう。本書は、具体的な人の動きまで注視しているのだから、それをこれから考察してゆく基盤をじつはつくっているのである。そう考えれば日本人建築関係者がアメリカで運動したことも、たんに二国間関係ではなく世界的、国際的な広がりがあったといえるかもしれない。そうすれば磯崎新がこの時期のことを、戦勝国が敗戦国から戦利品を取り上げるようなものという話の、また再解釈の余地があろうというものである。
 余談だが、著者が「国家」を気にしていることについて、私見を述べる。行間からは、国家は統制するものということが前提とされるような印象だ。しかし、そうだろうか。近代資本主義の形成についての歴史学的研究、あるいは柄谷行人のネーション/ステーツ/キャピタル(資本)の三位一体論にも感じられるように、かならずしも全能の国家があらゆることを統制したとは限らない。国家が資本を統制した一面もあれば、ぎゃくに資本が国家を先導した側面もある。だから国家はときに芸術のパトロンであったが、美学が国家を先導したという側面もある。
 さらにいえば建築や芸術は、同業者組合的なネットワークにより、そもそも国家を超えて交流し流動するものである。それが建築の可能性というものなのだろうし、このような事情は偉大なる先人たちもじゅうぶん体験したはずである。
 展覧会とは、そうした展示品と展覧会場という具体的なものが、一時的であるからこそ、制度や縛りを超越して建築ビジョンの共有と発展を生む。展覧会に着目する著者の視点は、そうした近現代建築に固有で不可欠のある側面を浮上させている。そこが可能性である。
 さらにえばこれまでの建築史叙述が超越的な時代精神のようなものの存在を大前提とするものであったのにたいし、展覧会に着目する著者の枠組みは、個々人の具体的な挙動や活動や交流の重要性を強調するものとなろう。新しい、あるいは19-20世紀にふさわしい建築史叙述の可能性である。
 さて気がつくと文句ばっかり書いてしまったかもしれない。しかしぼくにはドレックスラーや浜口たちの交流など、具体的な人の動きについての叙述はたいへん面白かった。浜口が展覧会を企画するにあたってアメリカで考えを変えていったという記載はとくにそうであった。それは展覧会のある本質をついている。展覧会とは諸ベクトルがなんとか合流しようという、具体的で、個別的な、一回きりの,みずみずしい場なのである。だから個人レベルではベクトルの変容がおこり、それが世界や国際という普遍的なレベルにシームレスにつながっている。そうした記載はわくわくする。ぼくが交差点とするものを著者が展示空間とすることにはこだわらない。著者は新しいタイプの建築叙述を開拓しつつあるようだ。著者すなわち辻泰岳さんとはなんどか会ったことがあり、長く話し込んだこともあったし、話がはずむ相手である。いろいろ議論を広め深めてほしいものである。