『建築史とは何か?』アンドリュー・リーチ著、横手義洋訳

訳者の横手さんからいただきました。ありがとうございます。

 

原著は2010年刊、ヴェルフリン以降の近代における建築史学のレビューである。著者の歴史観、学史観、そして問題意識ははっきりしている。建築史を批判しつつ、前向きに構想している。読んで損はないであろう。

 

レビューのレビューになってしまうので、変ではあるが、著者の率直な史観とは、21世紀をも含む。ゼーヴィやタフーリが展開していた、建築史そのものへの問いかけ、とくにタフーリによる批判的歴史、そのひろがりである理論指向の歴史研究。それを継承しつつ、これからを構想している。

 

著者も訳者も1970年代生まれである。今、いちばん活動的な年代のひとびとである。これからの伸びしろも期待できる、論考である。

 

だからよいのであるが、老境に近づきつつあるぼくからすると、別の感慨がある。リーチが言及した文献をふまえ、日本建築学会の『建築雑誌』でも建築史そのものを再検討しようとした特集を組んだこともある。メタ批評と称して、建築批評の批評をし、それを『言葉と建築』としてまとめたのは、まさにリーチが批判的歴史とよぶものである。ぼく自身が、位置づけられる客体になったというわけである。

当時(90年代)、すくなくともぼく自身は、世界とシンクロしつつ、論を展開しているという自負はあった。しかし理解もされず、同調もされず、孤独であった。まあそういうものであろう。そうすると本書への反響もだいたい読めてくるが、若い世代に頑張ってもらいたいものである。

 

日本建築史とは、日本国における建築史なのか、日本建築という文化的カテゴリーの歴史なのか、よくわからないが、このグローバルな時代にあって、あくまで独自路線なのは、それはそれでよいのではないか。文化のグローバル化と、資本のグローバル化を同じように論じることはできない。だから日本は、半鎖国状態で、サロン的な文化圏をもっていてもいいのだし、それを維持していけたら、すばらしい。これからのかたがたが、そういう姿勢を示そうとするのか、それはそれで正念場である。

そして重要なことに、リーチが「建築史とはなにか?」への解答を与えてくれるということではない。著者はそう自問自答し、その歩みが本書となったとみるべきである。だから救いの書ではなく、救いを求める書である。読者は、この著者とともに「建築史とはなにか?」を自問自答するべきであろう。