原論的な設計教育(5)パラダイムチェンジは可能か

自己レビューはこれが最終回です。 
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●再録(『建築雑誌』2019年7月号より):
【5】パラダイムチェンジは可能か
  設計教育がいかにパラダイムチェンジされてきたかはアメリカをみればよい。フランス的ボザール教育、モダン建築の機能主義教育、反近代的なバナキュラー・アノニマス教育、コンピューター・エイディド教育、BOPを含むグローバル教育というように、大胆にギアチェンジがなされてきた。たほうで神による世界創造をなぞるのが建築家であるという西洋的幻想(たとえばフレーベル教育)が背景にありそうだ。神の法則(物理、世界、環境、情報など)から人間は逃れられない。神の摂理、すなわちある基底的なアルゴリズム(OSのようなもの)のうえで、建築家は設計し、人間は自分の世界を構築している。だから設計とはその基底的なもののうえでいかにカスタマイズするかの謂である。それが日本では、神のごとき建築家などとんでもない、民主主義だ、参加型だ、共創だなどという勘違いの議論となるであろう。ところが超越的次元が生きているところでこそ大改訂はなされうるのではないか。明治このかた偉大な先輩たちが考案した「伝統」もまたこの「基底的なもの」であったのだ。ただ超越性が不足していた。ゼンパー、マルクスダーウィンらも素材、資本、種という基底的なものにより世界を再描写した。基底への還元、初期化、再構築をし、未来を準備すべきであろう。
 日本ではカラダは建築士、心は建築家である。心を守ろうとしてカラダの欲求を軽視しがちであったと私も大学人として反省すべきである。それでも学会の問いにこたえよう。大学の高校化はむしろ希望であろう。そもそも設計教育が機能不全であるとすれば、課題が過去問の機械的な踏襲になっていたり、教員の専門と悩みを学生に押しつけるだけだからである。総合性とは分野細分化の補完にすぎず、俯瞰すれば業界的なマッチポンプがみえてくる。私が所属していた学科では、教育の不調を学生の未熟さのせいにしていた。そうではない。教育が間違っている。なぜそういう発想ができないのだろう。一九世紀いらい、教員と学生がアトリエのなかで同志的に課題を共有しているという妄想にひたれた。「福岡」や「せんだい」ではこうした業界的な一体感がまだ可能であった。しかしこの大前提がなりたたないなら、教員と学生が異世界に属しているなら、建学精神の共有などという牧歌がなりたたないなら、実験でもやったほうがよい。設計教育に原論的なものがありうるのか、純粋教育としての設計がありうるのか、そもそも設計とはどういう演算(脳の使い方システム)なのか、いちど構想してみる。そのうえで各種合同ジュリイの経験などから、次のステップ、たとえば大学を越えた機構を実験することがあってもいいだろう。

●自注:
【1】設計とはなにか、を共時的な分類で考えてみる。
 まだ助教授であったころ、1995-96年頃だと思うが、カリキュラム改訂をまかされた。そのときにたとえば、設計1、設計2、設計3・・・などという演習科目に、住居、集合住宅、文化施設、などとビルディング・タイプをわりふるのではなく、
「プロジェクトが立ち上げられる、いくつかの典型的な状況」
を着眼点として、「メトロポリス的プロジェクト」、「都市的プロジェクト」、「田園的プロジェクト」に分類することを提案した。
 2019年5月に開催されたぼくの最終シンポジウムでご招待した、明治大学青井哲人さんも、同様なことを考えていたらしい。彼は5種類にわけていた。ただしぼくは10数年先行している(えっへん)。
(1) 「メトロポリス的プロジェクト」→レム・コールハースのOMAを念頭においていた。大規模資本が投資されて、都市空間がつねに後進されてゆくような都市・社会・経済的な場において成立するプロジェクト。投資とその回収のメカニズム、採算性がプロジェクトの根拠となる。社会は流動的であり、定住率は低く、毎年の転入・転出はきわめて多い。地方大学であっても東京の大手不動産業に就職するものもいるので、これは不可欠。
(2) 「都市的プロジェクト」→日本でいえば県庁所在地、旧城下町ていどのスケールにおいて成立するようなプロジェクト。大規模資本が投資されるのは稀であり、中央政府補助金があてになる。地域社会は、名士、有力者支配がみられるが、じゅうぶん民主的であり、市民が公共的案件に発言をする。
(3) 「田園的プロジェクト」→人口5万人以下の、市政にならないスケールの、町村社会か、そもそも社会の存在が観察されないような状況でも立ち上げられるプロジェクト。別荘、僻地の公園施設、農村、農業・漁業を生業とする社会、において成立するプロジェクト。大資本の投資や国や中堅都市の公金投入もあまり期待できないが、万が一、個人資金の投下の範囲内であっても、なにかできそうで、個人のイニシアティヴ、地域のリーダーの志が決め手になるようなプロジェクト。
 3種類は、クライアント、ステークホルダー、建築メディア、地域住民、プロジェクト手続き、などが違ってくるわけだ。
 これらは「プロジェクトが成立するメカニズム」の分類なので、どのビルディングタイプにも、建築/造園の二要素、にも臨機応変に対応できるという、きわめて大きなメリットがあった。べつに従来型や一級建築士対応を否定しているわけではない。それらの上位にもうひとつのレイヤーを設定しているのである。
 建築系とランドスケープ系の教員がおり、緑地環境の設計はどこかでやらすことが不可欠。すると緑地環境プロジェクトは、大都市でも、小都市でも、田園でも求められる、などなどである。
 
【2】設計とはなにか、を通時的な枠組みで考えてみる。
これは、だれでも考えそうなことである。ぼくは2019年のSDレビューの批評をまかされたときに、あらためてそう思った。
 「依頼→受注」というシンプルなお仕事の図式は、
O(プロジェクトを発案する公共団体・法人・個人)→P(プロジェクトをまかされる建築家)
と書き換えると、なにか論理の構造のように思えてくる。
ここで重要なものは「O」も「P」も、始めでもなければ、終わりでもない。すなわち、
 N(さまざまな課題に気づき解決を考える)→O→P→Q(建築をつくる)
のように、前後がかならずある。しかもさらに、
M(気づかせたさまざまな状況・構造)→N→O→P→Q→R(新しい建築が変容させる状況)
と前後に延長できる。しかも理論的には無限に前後に延長できる。これは因果関係の連鎖であり、そもそも人の営みは前にも後にも、無限に関係づけられている。ただしどこまで認識できるかは、その認識の限界もあろう。とはいえ、まとめるなら;
(1)建築家の「受注→建設」という一工程は前後に無限に延長できる。
(2)設計する・建設するとはこの「無限連鎖」の切り取りである。
(3)すぐれた建築家は、自分が直接かかわった建設の前後を、かなり読み、予想できる。
(4)この図式は、まさに建築史こそが基底的・普遍的な基礎学であることを意味してそうではある。
 建築にかかわる者は、この前後にかなり延長しうる長いプロセスの一部に介入しているのだということを自覚すれば、いわゆる文脈やいわゆるエフェクトをよりふかく認識するようになるだろう。そうすれば建築設計学か建築史学かの違いは、学界的な論文作成のフォーマットの違いにすぎないようになるであろう。

【3】そして原論的なもの、基底的なものとは?
 「ゼンパー、マルクスダーウィンらも素材、資本、種という基底的なものにより世界を再描写した」のである。それらは定義やはじまりをきちんと設定することで、その論理展開を堅固なものとするという、典型的な西洋的思考である。ただそうした基底論は、宗教的には一神教的なものであり、最終的には、それら「基底的なもの」がいわゆる一者としてあくまで世界を支配するという、論理の循環をもって終わりそうである。とはいえ、ぼくなどとても建築においてそれらと張り合えそうにない。
 逆に、自分が所掌するプロセスを含む、長い長いプロセスを、遡及的にあるいは結果予想的に考えることは、健全な自己批判性であるといえよう。しかしこの場合、いわゆる一者を前提としないのだから、永遠の相対論になり、共有された定義も目標もなく、認識と実践は終わりなき相対論となってしまいそうだ。ぼくでもできそうだが、まったくファイトがわかない。
 1970年代以降、近代化批判=西洋中心主義批判の構図が、建築の論壇を支配してきた。それからまさに半世紀近くなって、世界建築やグローバル建築を冠とする論考ができてきた。
 半世紀たってもそれらを「完成したもの」として最終的な批評をすることは、まだできない。いくつかの徴候をあげるのみである。(1)西洋中心主義批判に基づく論考は、その批判自体が西洋的であるということに気がつかないという限界がある。(2)非西洋圏の建築を研究することはよいのだが、普遍軸を設定しないので(普遍軸を決めると西洋的になってしまう)、終わりなき相対化の作業(それ自体は賞賛されるべきだが)になり、いつまでたっても結論はでない。(3)そもそもいちど西洋が世界を支配した以上、西洋的なものがまったく不在の場所など、どこにもない。(4)理論的には、西洋を超克するには、なしくずしの相対論はまるで無能であるし、それを超克するのは、西洋以上に一神教的な、西洋以上に普遍主義的な哲学をもつものであろう。近未来はそれは現れなさそうだが、中未来になるともうわからない。もしそうなったらどう対応するか。昔の西洋中心主義批判はまったく役立たない。
 こうした状況をみつつ、ポスト・キャリアとなったぼくはなにをするか?とりあえず思いつくことを書くだけだが、(1)いわゆる西洋的な「一者」論でもなく、西洋中心主義批判のおわりなき相対化論でもなくて、(2)「西洋人が考えそうな、考えてもよさそうだが、先行研究を俯瞰してみると、まだ論じていないようなテーマ」をみつけて、そのテーマは普遍的なので日本にも妥当する(開国から150年以上も世界とシンクロしたのだから)という俯瞰のもとに、研究してみるが、(3)それはすべてを支配する最強概念でなくともよくて、そこそこの普遍性のある、いくつかの指標を探して、それらにより世界をマルチスキャンする、という感覚でやっていく。矛盾も折衷もあるのはわかっているが、現実的なところである。
 今のところ、こんな感じである。いつでも変更する。学者は最後まで学者であり、自己更新も終わりなき営みである。