「建築界」の形成について

東京時代、留学時代、福岡時代などを横断的に回想し、また建築教育や建築家資格についての我流ではあるが若干のスタディから思うのだが、やはり「建築界」そのものを俎上にのせるべきではないか。

自由職業人としての建築家が登場してからの建築界だけを考えればいい。すなわち西洋における1830年代あたりの自由主義経済の発展が背景になって、自由で営利的な建設産業が形成され、それが近代都市を構築するとともに、人材育成、技術発展などを求めてきた。それが近代の建築学の発展をうながし、そのおおきな枠組みのなかで建築家教育と職能なども発展したのであった。

この建築界は、産業、官僚(行政)、学(アカデミー)があるというのは普遍的である。建築の場合はさらに、職能団体がある。学も大学、アトリエ、学会などに下位分類されよう。また古建築保存協会のようなものは、民間型でも政府型でも自治体型でもありうる。

問題はその「建築界」はかならずしも明快な輪郭を示すわけではない、ということだ。そもそも国により実情はことなる。さらに研究においても、職能、教育、技術など個々の断面についての詳しい研究はおおくある。しかしそれらがどのようにヨコに関連し合っているかどうかは不明である。たとえば19世紀の建築大学の卒業生の何パーセントが自営、大手設計事務所、官庁にふりわけれれるか、である。

ただ建築は、建築家のアトリエのみならず産官学民などさまざまなグループの相互の刺激によって発展する。で、その相互の刺激は、具体的でかならずしも記録にはのこらない、人と人のつきあい、会合などなのだから、細部にみちた全体の挙動はわからないわけである。

ぼくは福岡勤務26年のあと首都圏に戻るのだが、日本のそれぞれの特色のある地域で健全で充実した建築界ができるためには、なにが必要かを考えているのである。

そのためには建築界の基本構図を描いておくことが肝要である。まず前述の、産官学、職能団体、建築関連各種団体である。これらはテリトリーが決まっており、機構上、排他的である。

それを補うのが媒体である。媒体としては、メディア、「ドン」、自由人、ネットワークなどさまざまなものが考えられる。こうした媒体により産官学等は有機的に連携されるのだから、じつは媒体が重要なのである。

(1)メディア。首都圏では業界紙や「新建築」的なものが牽引してきた。産官学の発する上からの情報にたいし、対抗できる水平な社会の自由な意見を表明するこうしたメディアは不可欠である。ただこれは地方ではむつかしい。可能性があるのはSNSなどであろう。これも首都圏が先導的なのであるが、優秀な個人なら地方でもできよう。

(2)ドン。どの建築界にも黎明期にはドンがいた。しかしそれは必要悪的なものであった。いつかは脱却すべき段階であった。21世紀にはいらない。ドンは隠退してもらう。

(3)自由人。自由人は建築界の縦割りの境界線を越えることで、それらを媒介する存在である。福岡はそれを受け入れる包容力はある。ただ突き抜け方がまだまだである。

(4)社交人。どの業界にもいるのだが、自社の利益のためにすすんで調整役をひきうけているうちに、その企業にとどまらず、地域の建築界のための重要な役割をになうまでになるタイプ。これは成長期には必要とされるタイプである。ただ永久にそうだともいいきれない。

(5)ネットワーク。縦割りを超えるものとして可能性がある。デザイン・レビューはそういうネットワーク型のものとして、各大学の垣根を越えたことに大きな意義があった。ただイヴェント存続の機構になってしまうとロードだけがのしかかってしまいがちである。たほう学会はネットワーク的なのだが、学問は学問であって、政策デザインではないようである。
地方にも健全な建築界があってしかるべきである。ただエイエイオーではできないのであり、冷静に設計図をつくらねばならないと思われる。