原論的な設計教育(2)大学改革のなかで

【妄想につき注意!】建築学科は大学改革失敗つづきの本省から離れて、国交省の庇護の下にはいったら?
●再録2(『建築雑誌』2019年7月号「原論的な設計教育を私は目指してきた」から):
 教え子である百枝優、佐々木翔、佐々木慧らは学生のころから実務家の今まで、一貫した方針で自分を鍛えつづけている。イチローみたいは褒めすぎにしても、教えないことが最高の教育などという逆説の、こうした成功例1%を99%にいかに還元するか。
 本省主導の大学改革のなか、九大の建築系2学科を統合し、講座制建築学をベースにしたオールインワンの大学科を21世紀につくろうなどという時代錯誤。ますます世界から取り残されるであろう。世界の一流校において普遍的な3部構成にならって、都市、建築、環境を冠する3学科構成にすべきである。よく調べられよ。解雇を覚悟して理事たちを完膚なきまでに論駁し、身を挺して阻止した。出口敦がかなりまえにつくった都市工的な専攻も念頭においていた。それを評価できたのが部局外の私であったのは皮肉である。ちなみに東大は4学科構成を考えていたらしい。さらに、すでにネットワーク時代なのだ。
 絶望は愚か者の結論である。九大に「環境設計グローバル・ハブ」をつくった。アジアやヨーロッパの大学と連携して交流的かつ包括的な研究・教育をするネットワーク組織である。たぶん井上朝雄や岩元真明たちが桁違いの成果をもたらすであろう。さらに九大にグローバル連携型の都市研究機構の種子をまくことにも参加した。建築学の基本構成を現代化しなければならない。過去の講座制ではないのである。
 大学は孤立してはだめである。欧米のサマースクール、世界的な教育の商品化のなかで、日本には100以上もある建築系の学科がそれぞれ自閉しつつ教育を考えるのだろうか。開かれたマーケットを想定し、目先のきいた人に起業してもらい、設計教育プログラムの商品を開発してもらう。各大学の各学科はそれらを選んで購入する。自案をまぜてもよい。そのうえで大学の人事システムをさらに工夫し、設計教育に特化した教員を多く雇用してもらう。そうでもしないと高度化した研究にまで時間がさけない。

●自注:
 最近、大学改革の批判書をよく目にする。山口裕之『「大学改革」という病』2017、佐藤郁哉『大学改革の迷走』2019、苅谷剛彦吉見俊哉『大学はもう死んでいる?』2020などである。ぼくとほぼ同世代の大学教授たちが書いている。精読するまでもなく気持ちは痛いほどわかる。国際的な競争をいうまえに、すでに戦わずして、内部から負けている。そういう自傷的な改革のなかで、大学教員は、論文を書く時間も、研究を展開する時間も大幅にけずり、研究者としての立場を危うくしてまで、本省からいいつけられた課題に取り組まねばならなかった。
 そもそも国立大学の独法化は、自主裁量権や、トップダウン型の大学運営が目的であった。しかし実態は逆であった。本省支配のさらなる強化であった。たとえば大学運営の根幹は財源であるが、大学PFIもありながら、大学の余剰土地を活用しての営利事業は許されない(いっぽうで運営補助金は削減するという)。またトップのなかには本省から出向する役職もある。さらにはそのトップをどう選ぶかの具体案もない。いうところの自主裁量権は、じつは、本省の意向をよく忖度して、その方向であかたも自由意志で決めたがごとく、自分自身を合理化しろ、という意味であった。だからグローバルな地位をどんどん下げてゆく。管理すればするほど、創造性は枯渇し、ランクは下がる。理路整然と衰退してゆく。
 ぼくのキャリアのなかで、大学改革はほんとうにつらかった。なにしろまず、(1)大学統合。単科大学であった九州芸術工科大学九州大学と統合した(京都工繊大の先生たちには統合しないほうがいいよとアドバイスしたら、彼らは賢明な道を選んだ)。とおもったら、(2)部局(学部)内で生き残りと称して、じつは党派争いの内部改革を、都合3回もおこなった。さらに、(3)工学部建築学科と芸術工学部環境設計学科を統合するの、しないの大議論があった。
 基本的にすべてうまくいっていない。それは建築(教育)についての基本的なビジョンがなく、たんに勢力争いの発想しかないから、未来先取りも、世界にはりあうこともできない、につきる。
 なにしろ構造、環境、計画の3本柱が建築学の世界標準だ、などと叫ぶ大学教授がまだいた。
 なにしろ妙案はとおらないのであった。たとえばぼくは、全学WGにおいて、2学科問題を解決するために、複数学科での共通入試、学生の希望に応じた進学振り分け、複数学科間の共通科目などの開設などを提案した。評価されて総長答申案に盛り込まれた。しかし巧妙に無視された。と思ったら2年後、理事が、別のWGで「入試や授業を共通化するなど工夫してはどうか(えっへん)」と提言した。今までなにを聞いていたの?こんな大学で改革が進むわけがない。
 このような課題山積のなかで部門長、学科長、副研究院長(副学部長)などいわゆる管理職を12年もやらされた。たぶん日本記録であろう。さらに上位の管理職についてほしい?いいかげんにして。
 そもそもゆとり教育にしろ、アンブレラ方式にしろ、グローバル化・国際化にしろ、入試改革にしろ、(結局のところ新国立競技場の件にしろ)、ことごとくうまくいかなかった。本省は権限、予算、情報はもっているが、専門性、現場、前線などの具体的なことはがわかっていない大本営である。本省は、そういう雑多な職種の専門家スタッフをかかえてはいないので、そもそもなにをどうしていいか、まったくアイディアがない。だから大学を指示する。みずから立案し、みずから改革せよと。そして数字とデータを把握しつつ、数値が不足したら、その大学を叱咤するだけである。これは官僚の資質とはまったく関係のない、機構の問題である。だからこそ深刻である。
 話は飛躍するが(モリは知らないが)カケ問題の本質は忖度ではない。本省が、さまざまな学界や業界ととりもつ関係が、ほんとうの国益や公益からはどうも違うところにいっている、ということなのである。もちろん内閣と本省のあいだの権限争いもあるわけだ。しかし本省も、トップダウン方式の大学運営をするなら、内閣からのトップダウンも認めないと、首尾一貫しないのだが。
 さらに階層が深すぎる。本省→大学→学部→学科→講座などの4~5階層におけるトップダウン構造で、概論的な改革方針を、次の階層ですこし具体化し・・・、である。そしてトップとボトムは、たがいに理解不能な、伝達不可能な立場となり、伝言ゲームは誤解と無理解をよび、妙案はつぶされ、有効案は理解もされず・・・となる。すなわち民間営利なら「起業」に相当する気の利いたアイディアはすぐ実行できる。しかし大学ではヒエラルキー構造の多層構造なかで、妙案も事前につぶされる仕組みになっているわけだ。
 本省の人びとはもちろん優秀であろう。しかし機構として、国を一括する立場と、現場の最前線で創造的であろうとするぼくたちの距離がありすぎる。大学は、均質空間ではない。それはさまざまな専門性を束ねたものである。小学校から高校までとは違うのである。つまり本省のもつ普遍性指向と、各専門性のなかのばらばらに拡散してゆく方向性は、あいいれないのだ。
 こういうことなら建築系の教育機関は、国交省に管理してもらったほうが、まだいい。文科省が認可し、国交省が運営する建築大学。なにがまずかろう。ちなみに防衛大学(そのなかには建設環境工学科もある)は防衛省のもとにある。
 大学はやめたので珍説に固執するものではない。それでもこうした問題をできるだけ普遍化し、できるだけ長い時間スパンで考えるなら、そもそも建築教育が大学等の高等教育機関のなかでなされるようになったことに帰着する。世界史的にはフランス1819年のエコール・デ・ボザール成立が端緒となる(フランスは中央集権的であって、地方の建築学校はパリのそれの分校であった。しかし1980年代から地方分権化が進み、州立の建築学校となったものもあるようだ)。いずれにせよ建築の高等教育化200年という構図は明快である。
 この件については『建築雑誌』3月号で若干言及する。
 つぎに1860年代あたりのアメリカのいくつかの大学における建築学科の設置が、重要な事件であった。なぜなら日本における造家学科の設置はそれらの直後なのである。日米における建築教育の高等教育化はほぼ同時代なのである。たしかに先人たちが努力したので日本の建築もおおいに発展したかもしれない。しかし日米だけを比較すると、スタートは同時期なのに、ますます差が大きくなり、もはや追いつけなくなり、21世紀にいたっている印象である。日本の大学のランキングが下がっているのは、アメリカに積極的に追随する旧途上国と、独自でもいいかとしてきた日本の差でもある。だからこれも日米問題に帰着する。世界を俯瞰してみて、そんな歴史的パースペクティブも必要である。
 建築教育は建築界の問題である。大学改革への批判は、これまで大学教授たちが内部告発のような形でおこなってきた。経団連が本省にプレッシャーをかけているというなら、専門の業界だってなにかいっていいはずである。本省による大学改革の問題は、専門の業界が黙ってていいのかというレベルに達している。
 ちなみにロンドンのAAスクールは業界がつくった大学ではなかったか?日本でも江戸末にあったいくつかの学校が、明治政府により統合されたのが大学である。近代化=西洋化の時代はその一元化が有効であったのだろう。しかしいまや国が、業界や学界に、その専門分野の独自性を尊重しつつ、高等教育のイニシアティブを(部分的にせよ)付与するくらいの大胆なことでもしないと、どうしようもないのではないだろうか。廃藩置県をひっくり返して廃県置藩だという言い方を聞く。国が大学一元化をする前の仕組みを復活させるべきなのかもしれない。
 国際化、グローバル化するもいいが、そのまえに国内の風通しを良くし、現場からの実質的な組立てでやっていかないと、いけない。じっさいそのような提言をよく耳にするようになった。これから、なのだろうか。
(つづく)