これからの研究計画?

学術系のフリーペーパーのための記事だということで、インタビューの依頼があった。よく知っている若手の先生であったので、快諾した。

そこで卒論以来の自分の問題意識やテーマを思い出しつつ、半生を語るようなことになってしまったが、面白かった。

断片的にいうと「メタ建築」路線。そもそも建築をやりはじめたころ、まず学科のカリキュラム体系そのものが奇異なものに写り、これこそを批判的に研究しなければならないとおもった。つまり建築学は、最終的な建物の建設という共通目標にむかって統一されるという当然のこと以外、学問の体系を理由づけるものなどなにもなく、じつにルーズである。そうすると建築とはなんぞや?みたいな(明治時代的な)問いには回答はないことになる。そんなことを学生のとき、考えていた。そこから、卒論、修論(「学としての建築」などとキャッチを思いついたが、今思い出してもこれはいける)、博論におけるアカデミー研究まで、一貫している。すごい一貫性だ、と今気がついて驚く。

それから数少ない著書を思い出してみると、過去には『言葉と建築』、『建築と時間』、それから近著で『○○と建築』(もうすぐ出る)というわけで、ぼくは建築と、建築でないものをクロスさせることで、論考している。インタビューをうけていて、そういうことに(やっと)気がついて、ぼくの路線として自己認定する。するとさらに『□□と建築』、『△△と建築』を書いて、これでぼく的世界の完結とする。合計、5冊。建築の5つのオーダー、とおなじ「5」である。なんとも予定調和的で、古典主義研究者にふさわしい。ぜひそうしよう。

「杭」の比喩。アカデミー研究をやったが、それはひとつの杭。パリ都市史の翻訳をやったが、それはもうひとつの杭。今、建築史の文献を準備しているが、そのほかに、宗教建築、住宅史、都市史、建築理論の翻訳など、文献を準備している。それらはちがうテーマだが、地面の違う場所にうちこむいくつかの「杭」であることにして、そのうえに、基礎、土台、建物を構想する。いままでやってきたことは、杭うちでしかない。これからが本番。

「学会」ツーリズム。建築系の学会は、やなりなにかを背負ってしまう。それ以外に、研究には必要だが、論文を書くまでの専門家ではないといった関係での学会も積極的に参加する。そんな学会に10ほど加入すると、毎月、どこかで学会の研究大会が開催される。それを自分のツーリズムの目的とすると、年中、飽きずにすみ、しかも勉強になる。これはなかなかよい隠居生活である。

・・・などと際限なく妄想は炸裂してゆく。インタビュアは若い優秀な先生であったので、いろいろ引き出していただいた。ありがとうございます。