百枝優《あぐりの丘高原ホテル・チャペル》

学生をつれての1泊2日、設計演習ツアーは長崎市であった。宿舎は、新装オープンした標記ホテル。その目玉、チャペルを設計したのは百枝優であった。日程はかなりまえから既決であり、直前では操作できなかったが、彼が設計者として竣工式をするのと、非常勤講師として学生たちに教えるのがほぼ間隔なく前後したのは、奇遇というものであろう。

朝、関係者以外ではおそらくはじめて、見学を許された学生たちが、高揚している。教師冥利である。

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木造軸組で、幹/枝の樹形立体トラスというかマッシュルームというか、類例はなんどか見たが、論理がすみずみまでゆきわたっているという点では、これは秀逸であろう。幹/枝の基本形がまず第1層に並べられるが、その基本形をルート2分の1に縮小し45度回転したものが第2層をなし、さらにルート2分の1に縮小し45度回転したものが第3層をなすが、そういうことでいちばん下といちばん上は、寸法はちょうど半分となり、合計90度回転なのでx軸y軸はふたたび一致する。ポエティックにいうと、無理数無理数をかけて有理数にもどる。ここまでくると観念論であるが、実体はそれをなぞっている。観念の図式をそのまま美しく再現したのであるが、それをここまでふっきれてやってしまうと、すがすがしい。

別の形容をするなら、立体幾何学図式によりキュービックな空洞を充満させているといえる。

いま別件の原稿を平行して書いているのだが、ちょっと披露すると、人間はさまざまな図法により対象物を描くのだが、地図、天体図、などはその典型例であり、外的な世界を描くのである。ところがその手段であった幾何学が、現実の土地や天体から分離しても考察できる対象になると、こんどは幾何学図形が、現実には存在しない、精神のなかだけに存在するものとなる。そのとき、人間が透視図法やアクソノメトリで描くのは、精神の内部ということになる。図法は、外界も描くが、内的世界も描く。これが三角形のイデアはどこにあるか?といった哲学問答にもなる。それはぼくには難しすぎる。建築家の精神のなかで、いくつかの幾何学的ダイヤモンドが、すきまなく、密実にある空洞を満たしている。その図にもとづいてこの《チャペル》は構築されている、と思えばよいのである。

そういう意味で実験的なのだが、実験的な実作をつくるチャンスに恵まれた建築家は幸いである。

なお彷彿されるのは、17世紀のデカルト宇宙理論(現在なら天文学)においても、宇宙は、均質な真空空間ではなく、さまざまな渦巻きが密実にならんだものなのであったということである。

ところでぼくは、前夜、ひそかに見せてもらった。ところが風呂からあがると、コーヒー飲み過ぎの自律神経失調という恒例のものを発症して、翌朝まで寝込んでいた。百枝優は、傑作を見たせいですよ、という。事実ではないが、まあそういうことにしてやろう。