頴原澄子『原爆ドーム』

頴原先生から送っていただいたので、昨日読んでみました。ありがとうございます。

いわゆる原爆ドームの、物産陳列館時代から今日までの歴史である。あるひとつの建物が、被爆し、用途もかわり、内外の政治状況の変化に翻弄されながら、文化財、そしてモニュメントとしての意味づけや位置づけもかわってゆく、そういう話である。ある建物の数奇な運命である。たしかにラスキンのいうように、建物には歴史が刻み込まれる。しかしこれほど過剰に上書きされながら、ほとんどエポキシ樹脂構造状態になりながら、人間でいえばいくつもチューブを差し込まれた状態でありながら、それでも生命をつないでいくことは、それ自体の存続というより、原爆投下はじめもろもろの介入やなされたこと総体を保存してゆく、そのなかには病歴も治療歴も手術歴もふくまれる、そのような近現代史の総体であることに意義があるからである。

建築の価値を、事前の価値、事後的に付加されてゆく価値とわけると、価値を価値として判断してゆくという行為自体が、追記されてゆく価値そのものに転化してしまう、そのような、いわば再帰的価値体系として近代における建築保存はある。著者はそのことに方法論的な自覚があると思われる。

これは有名な歴史の叢書だから、書き方はかなり抑制されている。そのなかで、前史、原爆投下、丹下らのプロジェクト、戦後の「平和」概念、文化財化、世界遺産化などが論じられる。ならべかただけをみると、ベタに読んでしまえば、くわしく調べましたね論文にみえてしまうかもしれないが、けっしてそうではない。著者のヴィジョンはごくごく控え目に書かれているし、通常の読者はほとんど気がつかないであろう。あとがきで「ゆらぎ」とカギ括弧でくくているように、建物の意味はどんどん変更されてゆく。ちょうど列島がいくつもの大陸プレートの上にのり、そのことでいつもゆらくように、ひとつの建物がのっている、いわゆる背景、基礎、基盤はいくつもあり、それぞれ動くのである。

その最たるものが「平和」である。本書で書かれているように、市民による内在的・自発的な平和理想、対アメリカ的方便としての平和、戦没者慰霊でも戦争犯罪告発でもないかたちのモニュメントをむかわせる方向としての「平和」、国策的な原子力の「平和」利用など、清濁あわせのむ平和理念があったわけだが、この徹底的に政治的でありながらそれでも無垢なる側面を失わないこの平和概念のように、原爆ドームはあったわけである。そして著者は、この「原爆ドーム」という呼称さえも相対化し、分析している。卓見である。

そしてこれは原爆ドーム特殊論かというと、そうではない。普遍論でもある。モニュメントは凍っていない。それは動きゆらぐのである。たとえば今に残る中世の大聖堂。それらは中世そのものとして残されているのではない。19世紀の修復理念と修復工事の結果であり、そこに見ているのは、中世というより(だけでなく)19世紀的保存を見ているのである。紆余曲折はあったとはいえ、建築物保存の2世紀をとおして、古建築を見学するとは、すでに建設時代とともに保存時代という二重三重の歴史を見学しているのである。

著者は留学時代に中世修道院をみて霊感を受けたそうである。その論考は廃墟論などというかたちですでに書かれている。おそらくそのとき、現前の古建築をとおして、その向こう側に、ある世界を透視し俯瞰されていたのであろう。おそらく、本質は著者のビジョンのなかにあり、著者がつむぐディテールとしての逸話の群は、多重なる襞のようなものであろう。ただ襞が読みごたえのある襞であるのは著者のビジョンのおかげでもある。作家論をパーツとするこれまでの建築史を「事前的建築史」とすれば、意味の変遷や受容の流れを描こうとする本書は、「事後的建築史」であろう。そのように解釈すれば、これからの建築史叙述の方向性を示しているともいえる。そしてモニュメント中心の建築史はあいかわらず意義深い。モニュメント(性)そのものの意味を問うことにおいて、そうなのである。