卒業設計ジュリイ

季節である。

去年から海外の大学教員を招待するようになった。去年は台湾の先生方がいらっしゃった。今年は、台湾、バングラデシュ、フランスの先生方、総勢7名ほどいらっしゃって、コメントや講評もしていただき、おおいに盛り上がった。

ぼくはたまたま学科長をおおせつかっているので、講評者としてのみならず、ホストとしての強い自覚ももたねばとおもい、がんばってつとめたものである。

それにしても。

わが学科は、建築新人戦で、いちどに最優秀賞、優秀賞2点の計3点も入選したり、卒計日本一で日本一も日本二も獲得したことがあり、卒計ではそこそこ活躍している。でも、過去も今年も、ジュリイでの質疑応答はまったくなっていない。出発点はどれも面白いのだが、広げてもいないし、深めてもいない。一発芸的には魅せるものもあり、こういうものは、講評者が思い入れでみるので、高い評価が与えられる。しかし減点法で採点すると、ほとんどは落第である。それでも全国大会で頑張れるのは、講評のフィードバックなのか、卒計後のがんばりなのか、よくわからないが、そうであれば、このジュリイではもっときびしく指導するのが、学生本人のためというものであろう。

発表会後の懇親会で学科OBに話しかけられる。この学科のOBはだれも母校愛が強い。強すぎるというべきであろう。しかし20数年前に着任したときから気づいていたことだが、この学科の、自己認識、自己評価、自己認定にはかなりかたよりがあり、それがあるので21世紀の世界において学科はどのような立ち振る舞いをすべきか、正しい判断がなされているとはとても思えない。大学が最先端なのか、社会がそうなのか、じつは判断はむつかしい。社会のひとびとが、今の大学が遅れているというのは、じつは自身の数十年前の体験によって判断していることがおおい。こちらからみると、社会は、大学認識という点でじつに遅れている。今の学生たちの、資質、メンタリティ、指向などはまったく認識していないし、ましてや教員自身のこれからの可能性もまったく知らない。そのような相互不認識のなかで大学改革などの対話が進められても、ぼくにとっては徒労である。

戦前、大学の建築学科など、東京と関西くらいにしかなかった。戦後、新制大学になってから、地方大学にも建築学科はできた。その新制建築学科のカリキュラムは、戦前にすでに確立されていた、高専など中等教育のための標準カリキュラムであった。いまの日本の建築教育体制は半世紀をちょっと過ぎたにすぎないが、カリキュラムそのものは1世紀である。これがただちに悪いこととはいえないが、今の建築学科のありようを判断するときのある基準にはなるのであろう。

もうひとつは、大学改革はいいとしても、すくなくとも建築系は、これから構築すべき未来や世界についてのあるていどのイメージをもち、それを目指すような姿勢が必要である。かつて日本の津々浦々?に建築学科ができた50年ほどまえには、いまからすれば反省すべき点は多いとはいえ、日本全土がバランスよく近代化されるであろう、というビジョンがあったのである。しかし代替ビジョンはどうもない。経済や環境についての危機意識からも再考すべきとはいえ、具体的な人があらわれそのように再考するとき、結局、自身の過去の成功体験しかあてにしていないようである。成功体験はよい。しかしそれは過去なのである。未来はどこにあるのであろうか。人間は、40歳もすぎれば、自分の成功体験など若い人にはなんの意味もないということに気づくべきである。ましてや教育者なら。