ふたたび「モダニズム建築」なる和語について

お恥ずかしい話だが、ゴンブリッチ『美術の物語』では言葉をちゃんと使い分けているよと人に指摘されて、頁をのぞいてみた。

なるほど。

訳者の見識には賛同できる。原語どおりに「モダン建築」であって、それを「モダニズム建築」などとは訳さない。これは「モダンアート」であって「モダニズムアート」とはしないことと、まったく整合している。

同様に、近代都市、モダン都市、モダンシティ、これはよさそう。モダニズム都市、これは使えるのだろうか。

マニエリスムは、手法に意図的にこだわることである。つまりマナー+イズムである。するとまずモダン(建築)があり、それに意図的にこだわる屈折した態度がモダニズム建築である。では、モダニズム建築とは、なんちゃってモダン建築であり、創造性、問題提起に乏しい下位の建築である。つまり建築史学における「擬洋風」という概念に近い。わたしたちの日本には、そんなモダニズム建築ではなく、真のモダン建築がたくさんあってほしい。

英語ではふつう「モダニズム」を単独で使う。美術史では、イズムはたいがい運動である。またそれは文化全般、絵画、文学、映画、建築など諸ジャンルを縦断する包括的な総称である。ところがこの「イズム」には、個々の芸術運動にはかならずあるマニフェストはない。あくまで分析者の概念である。

だから日本人が「モダニズム建築」とするのは、実際には海外のさまざまな建築運動の主義主張が日本に影響をあたえたとき、それらを総称して「イズム」とよんでしまうからである。ちなみに「モダン主義」とは訳せない。「近代主義」は耳障りはいいが、使ってもしょうがない感じ。つまりそんな明確なマニフェストはないからである。あくまで漠然とした総称である。だからWikipediaでも、モダニズム建築の定義は、漠然とした歴史的背景にとどまっている。その定義は何種類かあるなどと書くようでは困る。もっとも誰の定義がこれ、と区別していけば、学術的な意味は格段に高まる。