渡辺真弓『西洋の「宮殿」覚え書き』

家具道具室内史学会誌「家具道具室内史」第七号の「特集 赤坂離宮の室内装飾」のなかの一稿である。雑誌は渡辺先生よりいただきました。ありがとうございます。

専門家たちによる専門的な調査論考である。図版、写真、図面も多い。頭の勉強にもなるし、目の楽しみにもなる。

赤坂離宮そのものについては、片山東熊はもちろんだが、吉武東里も参加していたようである。プランをみると、いわゆる宮殿というよりは18世紀イギリスのカントリー・ハウスのようにも思える。また廊下+諸室の形式である。また中庭式で、左右対称、そこだけみれば議会建築とも共通点がある。つまりその点では19世紀の機能主義的なプランニングである。しかし多くの部屋の内装を、日本風、西洋風(多くはフランス18世紀末の様式とされている)、イスラム風などとすることで、世界(網羅)性を表現している。

渡辺先生の論考は、赤坂離宮の背景として、フランス、オーストリア、ドイツ、イタリアなどの代表的な宮殿建築を解説するものである。そのなかで個人的には、マリオ・プラーツからの再引用である《ナポリ王宮のカトリーナ・ミュラ》がなぜか心にしみる。宮殿建築らしく豪華な、しかし明るく伸びやかな室内から、女性が戸外で遊ぶ子供たちとさらなる遠景を望んでいるそのシーンは、本来は儀礼の体系であるはずの宮殿空間のなかで、個人の心象がふと立ち現れる、その刹那を切り取っている。そこからぎゃくに宮廷生活の悩ましさが浮上するのだが、それこそが宮廷を宮廷たらしめているものなのであろう。

赤坂離宮の日本近代建築史における位置付けについては、恩師稲垣榮三の説をそのまま引用されている。つまりヨーロッパにおける2世紀超の宮殿建築を、後進的な日本がほぼハンドリングできるまでに成熟した記念碑的な作品である、と。

ただぼくも稲垣チルドレンのひとりであるからこそ、稲垣学説をいかに超えるかを考えている。辰野金吾の東京駅を町並みだと評した彼のことであるが、赤坂離宮についても含意があると考えて当然であろう。すると「偶然生まれた傑作」「ほとんど奇跡」によってそののち大正建築が飛躍したなどというのは、それこそほとんどイヤミのように聞こえてしまう。つまり褒めてはいるが、しょせん他人事だ、というわけである。