虚構の時代はおわったか?

ひさしぶりに磯崎さんにお目にかかり刺激をうけましたという顛末である。

先日の丹下シンポジウムで、ぼくが冒頭に基調スピーチ的なことをすこししゃべり、磯崎さんが最後をまとめるというようなことであった。彼はパネラーたちのやや散漫な話題をうまくつなげ、自分の枠組みにひきこみ、さらに丹下とはなんであったかの統一的イメージについて示唆を与えた。

ぼくは、豊川さんの質問にこたえて、日本の近代建築史叙述についてこう指摘した。稲垣榮三にとっては、結局、日本近代建築史において堀口捨己を理想化する、それがすべてであったのではないか(いっておくが稲垣は悪魔的にそうしたと思うのだが)。いま注釈すると、稲垣は、戦後にみられる要素はすべて戦前にそのすくなくとも萌芽がある、だから戦争で話をとめていい、と結んだのであった。だから読者たちは、ああそうか、戦前だけ考えればいいのか、と思ってしまった。ここで「?」である。ということは稲垣は、戦前と戦後は連続しているといっているのである。だから戦前から「今」までは一直線に描けるはずである!なのに稲垣はそうしない。つまりこの書き方に稲垣の、ある種の貴族意識、そういって悪ければ、達観がある。ちなみにこの矛盾をさらけ出しておいて、平気でそれを超越する稲垣榮三というひとの、天使的にして悪魔的な魅力に、弟子たちは魅了されていたのだ、などと回顧してみても、はたして共感者はなんにんいるだろうか。

戦前/戦後は世代が代わればかろやかに超えられるであろうと思っていたが、じつはこの構造はますます堅固になるどころかさらに再生産されているような気もする。とくにグローバル化はそれを強化する側にまわっているのではないかとさえ懸念される。

話は脱線したが、お目にかかったことでひさしぶりに御著作を読み返し(キュレーション云々の本)、80年代のマネーゲーム建築のあたり、消費社会のシュミラクルとディズニーランド化の建築、ロックの名曲もおおかったあの時代、それを距離感をもって回顧できるようになると、これそのものも大きな虚構のなかに、ほとんど埋没していることに気づく。つまり三島由紀夫が戦後25年は現実を生きた気がしないという実感をもちつつ『豊饒の海』を唯識論の物語として書いた。彼が去った1970年以降を虚構の時代として、見田宗介的枠組みで大澤真幸が『虚構の時代の果て』で指摘した。80年代もマネーゲーム的に虚構であった。ついで90年代も新宗教の虚構性故の恐怖がかたられた。さらについでに「第2の敗戦」は戦後構造をさらに強化した、「失われた10年」も「実」が欠如しているといわんがばかりの表現である。云々。虚構の終わりなき再生産である。

さてこうした虚構の時代がもし終わり、つぎの時代に移行するとする。たいがいこうしたステップは平穏になされるのではなく、大破局や大破壊をつうじてなされるので、個人としてそれを望むがいいというわけでもない。しかし大自然災害やシステム大混乱などにおいて、リアルなものがむき出しになるので、ぼくたちはそこになにかを予感するわけである。

それで虚構を実感しなくてよい時代になると、そこではじめて建築家磯崎新を理解できるようになるであろう。彼は虚構をうめつづけようとしたのか、虚構という溝の前後を橋渡ししようとしたか、いづれかであろうが、稲垣門下を自称するぼくならば、後者の解釈を選ぶべきであろうと、漠然と思っている。

そして戦後をもふくんだ近代日本建築史を描けないのは、そこに虚構が含まれていることへの、建築史家のしごくまっとうで誠実な反応であるかもしれない。しかし外からみれば職場放棄のような怠慢に見えるかもしれない。書けないのではなく、深層意識において書こうとしない、のはそこに抑圧があるからである。そしてその抑圧は、「歴史的に」生産されたものである。すると歴史を書けないことが、歴史がもたらした問題だ、というような位相を反転しつつトートロジックに回転してゆく問題の構図がありそうである。