PAPABUBBLE Fukuoka

百枝優に招待され、パパブブレ福岡店の内覧会にいってきた。天神地下街である。開店は明日とはいえ、店構えはすでにオープンである。

地下商店街の一スパンのなかに、切妻屋根の小屋を挿入したような、多重構造のつくりである。平入側の軒先が、さりげなくでている。この軒先の背後に、既存のダクト類が、白く塗られ、さりげなく自己主張している。

インテリアの黒い壁のまえに、商品であるカラフルな洋菓子が並べられ、アートギャラリーか、宝石店のようである。ハンス・ホラインのレッティ蝋燭店(むかし宝石店と誤解していた)を髣髴させるといえば誉めすぎか。

百枝優は、ぼくの研究室にいたころから、多重構造の、あるいは内包関係というべきか、そういう空間形式を追求していた。SDレヴューで入選したり、教会堂コンペで最終審査まで残ったのも同じテーマである。同じひとつのテーマをひたすら探究していることに、良い意味での作家性を感じる。

かつてぼくなどが建築を目指していたころは、ぼくが習った教師たちも、ぼく自身も、空間とは単位にわけて、ヒエラルキーや配列を考えることであった。それはたとえば住宅供給のような、国策的、社会的な建築プログラムも、保守派も革新派もあたりまえとおもっていた時代そのものであった。

原広司は、それにたいし、有孔体の論理と、そうした個の空間が、他から関係づけられるのではなく、自己の展開として相互に関係つけあってゆく、そうした空間の展開を考えていた。それが集落である。それは有孔体が他者をもとめ、他者とかかわってゆくその形式が、普遍性をもつ、そのような関係性のありかたである。

百枝優の場合は、もうすこし等身大なのかもしれない。しかし空間は、単位とその集合に解消されるのではなく、彼の場合、ひとつが別のひとつに内包され、それらがさらに上位のひとつに内包されという、多重構造をなす。だからあるひとつの点は、いくつかの空間がオーバーラップしたものとして意味づけられる。おそらくそれは個が、さまざまな関係性において意味をもつ、そのような多重性のモデルなのである。個は、このようにして重層的なものとなりうる、そのようなモデルである。同時に、グローバルな状況のなかの個のあり方を描く場合においても、よいモデルとなるようなものである。

彼に内なるプロトタイプがあるということは、特別である。このようなプロトタイプ、空間の図式としても、思想のコアとしても、成り立つ、そのようなプロトタイプを扱いながら、すこしずつ展開しつつある彼は、ぼくから見れば、建築家としての本物度がほかとはちがう。これから大きいプロジェクトをしてほしいものである。