『磯崎新インタヴューズ』

標記を賜りました。ありがとうございます。

10年かけてまとめたオーラル・ヒストリーであり、重要テーマはほぼ網羅されていた。なおかつリアルタイムで接していないのは岸田、堀口くらいで、読者としては老年層にはいりつつあるということであろうか。

そういえば、別の文献における岸田、浜口、浅田、磯崎の架空討論会は、『空間へ』のあとがきのようにおもしろかった。

あらためて磯崎さんは何者かについて考えると、かつての父/母のフロイト枠組みにおいて論じたときは、両方なのではないかと書いたが、いまではやはり父的存在なのであろう。つまり磯崎さんの書いたこと話したことを読んでいると、やはり内容豊かなので、学習せずにはいられない。つまり最初から客観的に冷静には読めないのである。ところが、学ばせていただいて、ありがたい、で終わればそれでよいのだが、そうでもない。すくなくともぼくにとっては、その枠組みから脱却するにはどうすればよいか、その語りを俯瞰するにはどうすればよいか、という課題を突きつけられる。だから依存して、そして克服するという意味で父モデルなのである。

といえば聞こえはいいが、これは同時代的な競争者でもないことを意味している。

磯崎論を書いたこともあり、畏れ多くも対論などというフレームもいただいた。あれからずいぶん時間もたった。回想してみるに、やはりぼくは磯崎論をしたいのではなかったのであろう。磯崎言説は不可欠の栄養なのだが、そこから位相のちがう別の理論を構築したかったのであろう。さらにえば磯崎モデルを描こうなどということは妄想に等しいのだが、その妄想性を意識したところで、それは磯崎さんそのものを描くこととは異なるものであろう。こういうことは論じられるご当人からすれば、なるほど違和感のあることであろう。

論考するある対象がある。しかしその対象そのものは論じない。その隣にいる対象を論じ、それら2対象の関係を示唆することで、最初の対象を論じることとする。あまり推奨はされないであろう、ということもよくわかる。しかし第二の対象をみつけるための方法だとおもえば、多少は生産的であろう。