山本理顕『・・地域ごとの権力・・』(個人と国家の<間>を設計せよ 第五章)

『思想』9月号のコピーがおくられてきた。ありがとうございます。終章だそうである。

ふと気がつくともう2カ月もブログを更新していない。6月までは執筆で忙しかった。来年どこかから出版していただけるかもしれない。夏は翻訳で忙しかった。これは再来年になるかもしれない。

いつのまにか歳をとったので、これから大作業して大著をものすということではなくなったしまった。もう調べごとのモノグラフ的報告というのもつまらない。すると自分の発想を存在理由として書き残してゆく、一種の預言のようなもの。それならファイトがわく。

ぼくでさえそういう気分なのだから、ぼくが尊敬してきたひとまわり上の世代のかたがたも、そういうことを、頭の片隅にでも考えているに違いない。

「ようするに」などと性急にまとめてはいけないかもしれないが、ハンナ・アレントの世界理念がベースになっている。とりあえずは古代ギリシア的なポリスを理念型、理想化し、それと現代社会とのギャップを対比的にえがく。建築は、その失われた理想をすこしでも回復しなければならない。そこで「社会」を批判的に再解釈することがなされる。

ところで閾理論を展開し、空間帝国主義と揶揄されていたころとは微妙なズレも感じる。つまりかつて山本さんは、

「建築が社会をつくる」

・・・という趣旨のことをいっていた。つまり学校でさえ、家族でさえ、制度は空間図式が密かに念頭におかれ、それがメタ建築となり、現実の建築に先行していたのだ。

ぼくはここにかつての山本さんの、おおいに批判的であった歴史的意義があると思う。というのは1970年代に、

「その社会が建築をつくる」

とあられもなく主張した建築家がいたからである。これはこれで真実なのであるが、では社会に忠実である建築家はそこで無批判に正当化され、逆説的にオールマイティになり、批判をあらかじめ遮断できるようになる。そのことに同世代人たちは違和感をもったのであった。

それにたいし山本さんの空間帝国主義理論は、建築のうぬぼれではなく、力があるからこそ責任もあり、その初源の創出において創造的でありうる、そのような可能性をあらためて自覚させたのであった。

今回の論、そして連載は、この根源的問題をさまざまな文献にもとづいて再考しようとするものである。その意欲はおおいに評価できる(という言い方は偉そうである、評価させていただきます、と言い換えよう)。しかし、ややもすると社会の形成というもののほうがやはり力があるのだ、というようにシフトしていないだろうか。なるほどヒルベルザイマーやジェファーソンまで遡及すると、建築の力はますます相対化されるようである。

であるからこそアレントのポリス理念に遡及して、これを最期の防衛戦にするというのが論における戦略となっている。ただその論理構成は、現実というものは構築された人工世界だから、「本来性」に立ち戻るのだ、という論理構成になっていないだろうか。そしてそもそも西洋では古典古代というのがそのような本来性のイメージとして活用できたとしても、それはどこまで普遍的なのであろうかという素朴な疑問もわく。

山本さんの問いかけはとても大きいので、ひとつの指摘に限定してとりあえず応えるとすれば、「社会」概念だけでなく、「社会概念」そのものが、近代の構築物なのだということである。「社会学」そのものが近代学であり、それが対象とする社会なるものは、その社会学的枠組みにより反省的に、事後的に像をむすぶというたぐいのものである。極言すれば(あくまで極言だが)、「社会」なるものは、近代以前はなかったのだ。社会学は、じつは行政学と出自的に連動し、その操作対象である「社会」を創造してゆくのである。

とすれば問題は、建築と社会の共犯性というようなシンプルな表現にもどる。それが空間帝国主義の原点である。だから正しいのである。ただ問題は、その枠組みをどう設定するか、それを具体的与件にどうあてはめてゆくかであろう。

21世紀になってぼくたちがよるべなく感じるのは、この近代的構築物である社会そのものが動揺しているからである。その現場からのレポートが、山本さんの連載であるという受け止め方でいいだろう。それは預言的であり、ひどく重い。