ガロンヌの畔にて

ひさしぶりにボルドーに滞在している。

成田/パリはA380であった。どんな乗り心地かと期待したが、滑走は短く、軽やかに離陸し、とてもスムーズであった。室内はとても静かで、ストレスレスである。ジェット機の金属音は遠い昔となった。

ガロンヌ川は水深もあり川幅も広いので、外洋船も航行でき、ボルドーは昔から海外貿易港であった。イングランド領の時代から海外にワインを輸出したし、18世紀は奴隷貿易で栄えた(市民はそこが今でもトラウマである、19世紀と20世紀は造船など産業で栄え、21世紀は観光・文化都市である。このようにボルドーガロンヌ川の賜である。川は、いまや観光、商業、緑地、の軸である。

ヨーロッパの都市は川の両側に成長することが多い。しかしガロンヌはあまりに川幅があって、西側は都市が栄え、東側は未開発であった。産業化時代に倉庫、工場などが建ち、労働者は住み着いたが、これはまだまだ都市とはいえないしろものであった。デルマス市長のころから都市化がはかられ、現在の都市計画でも新しいプロジェクトの敷地を供給する場所となっている。しかし両岸の非対称は、むしろボルドーの個性とまでいえる。ローマ時代から都市があった西岸からみると、東岸は護岸工事もされない野性の風景であり、そこに工場と倉庫がみえる。反対から見ると、西岸は古典主義の建築が並ぶ、典型的なヨーロッパ都市にみえる。

その西岸は、18世紀に刷新された古典主義ファサードは、景観のために保存されている。それらを覆い隠していた港湾施設は撤去され、公園となっている。もっと下流は、古いファサードは続くのだが、川にもっと近い敷地に商業施設が建設され、川沿いのそぞろ歩きの延長に、ブランド商品を並べるようなかっこうになっている。

日曜日はガロンヌ川沿いをジョギングした。往復50分。大型豪華客船が停泊していた。あたりまえだが、水上の集合住宅である。ル・コルビュジエがそれをモデルにユニテを建設したというが、あまりにベタである。

それにしてもバカンス客、憩いの市民で川岸はいっぱいである。そのなかを多くのジョガーが軽やかによけながら走る。ヨーロッパは金融危機というが、都市はしたたかに繁栄しているという感じである。

月曜日は、ふたつの橋と、両岸によって約6キロメートルの周回コースをつくって、45分かけてだらだら走る。川はゆっくりとカーブし(かつて三日月と呼ばれていた)、川幅があるので、一望感があり、スケール感は大きい。東岸の、かつて造船工場と運輸用鉄道駅のあった場所は、公園、小オフィス街などに変容しつつある。われながらの勘だが、このコースにジョガーが多いのには驚いた。

したたかな都市経営。ワイン貿易、奴隷貿易、工業、観光・文化、知識産業とどんどん転換してゆく。オスマンがパリに転勤するまえの前任地はボルドーであった、というと、こういうことの重要さがわかろうというものである。フランス特有の制度で、現在の市長アラン・ジュペは国政でも重要な立場である。