Grand Paris -Sortir des illusions, approfondir les ambitions, 2012 『グランパリ 幻想を払拭して野望を深める』

『グランパリ(パリ大都市圏)、幻想を払拭して野望を深める』

というやけに威勢のいい文献が、数多いグランパリ本のなかで目にとまった。共著者のひとりJean-Pierre Orfeuilは交通工学、土木工学、統計学の専門家であり本書ではより直裁に「モビリティ学専門家」として紹介されている。もうひとりのMarc Wielは都市計画家であるがとくに交通と整備に詳しい。

彼らが幻想と呼ぶものは、都市交通の平均所要時間を短くできると考えること、住宅が不足しているのでその価格が高くなると考えること、建設用地が不足しているとして都市域拡大をそしするために高密化できると考えること、高密化によってエネルギー消費を減し汚染を抑制できると考えること、などである。

とくに最新の考え方ではないが、一枚の絵によって、たとえばよくできたマスタープランにようなもので都市計画や都市整備がよくなるといった考え方は、根本から否定されている。どうじに建築的手法によって「空間を組織する」といった発想がもはや都市整備の基本方針にはならないことが示されている。

ただポレミックな書であるにはとどまらず、20世紀初頭からの主要な首都圏都市計画をレビューしており、また統計データもそえて、説得力を増そうとしている。さらにここ数年の「グランパリ」計画において、国、地方圏、自治体のあいだでどのような対立があったかもきちんと説明している。だからレヴューとしてはよくできているのだが。

都市計画は基本的には専門外なので、専門的判断はできないが、いわゆる「都市計画」は20世紀初頭に先進国で成立した「都市計画法」にその根拠をもっており、その基本は、自治体ごと、都市圏ごとにマスタープランを作成することであった。その20世紀パラダイムがおわったということであろう。

もうひとつはヨーロッパ的体制の中で、いわゆる首都圏のインフラ整備としれによる発展をめざす「グランパリ」計画のなかで、国、地域圏、パリをふくむ自治体、などの対立のなかで、この大計画は一時的にサスペンディドになっているが、しかしこれは過去になたのではなく、まさにこれからの課題として取り組まねばならないと主張している。それゆえの「野望」である。そのためにはさっきの国、地域圏、自治体といった階層構造のなかであらたな組織化をしなければならないし、もっと市場原理を導入しなければならないといったことも指摘されている。

こういう指摘があるとふたたび100年前を思い出す。インフラの不備。そうなのである。20世紀初頭、メトロ(地下鉄)計画が発足したとき、パリ市と周辺自治体の相互不信から、あくまでメトロはパリ市内となった(ごく一部が郊外にものびている)。そういう20世紀初頭の状況から、21世紀初頭ははっきり区別できるほど進歩しているのだろうか。また戦後高速地下鉄網がパリをこえて施設されたが、規格が違うので、日本の大都市圏のようなダイナミックな相互乗り入れはできていない。さらに政治的には中央=保守、周辺=革新という構図のなかで、むしろ戦後になってパリ市=中央は特権的にふるまおうとした。ミテラン大統領は中央と周辺を融合しようとしたが、あきらかに手法は限られていた。

「モビリティ専門家」というだけあって、建築=動かないものを冷遇してはいるのかよろしくないが、別の視点を提供してくれてはいる。それにしてもこういう大問題の根本は、やはり第二帝政のころに大量の労働者がパリに流入してきた、そして階層が形成され、それが郊外へと拡大していった、そのあたりの近代資本制都市に生まれ変わったパリの出自そのもののなかにあるのであろう。