磯崎新建築論集『記号の海に浮かぶ<しま>』

編集協力の松田達さんよりおくっていただきました。ありがとうございます。

磯崎本は「日本的なもの」いらいひさしぶりである。過去の論文の再録だけでなく、書き下ろしもあり、全体がひとつの都市論をなすように編集されている。

既読のものはとくに高速に進むとして、いっきに読むだのだが、やはり彼の文章は、いいというより独特だが、リズムが特徴的である。このリズムのせいで(おかげで)、よどみなく一直線に最後までいける。

それから彼の文章には、重文や複文はすくなく、ほとんど簡素な構造の短い単文である。箴言集だとも感じる。しかも明快である。ときにむつかしいのは、引用された概念のせいであり、それらは数式のXやYと思ってよめば、よい。そして頁が進むうちに、磯崎的思考のドライブ感がつたわってきて、ある意味、快感である。

このような意味で磯崎ディスクールは、理論というより物語である。しばしば状況への不可抗力的な巻き込まれがディスクールの重要な転換点となっている。だから、むしろ物語的、小説的である。小説・磯崎新である。これは執筆者が読者に憑依しようというディスクールである。

都市/建築というアポリアがあるらしいが、さすがに読者として感情移入はできない。時代横断的というか、彼はむしろルネサンス時代の建築家が20世紀に転生して生き直しているといったスタンスで書いているようにもみえる。

順番にいうと、かつては都市計画と建築という区分はなかった。それが20世紀初頭から、都市パラダイムが転換し、都市計画(学)と建築が分離した。しかしヨーロッパとちがって、アメリカや日本では、戦後になって分離したものの再統合がはかられる。思想としてはCIAM的古典的都市社会像がおくれて伝播しただけのようにも思える。とはいえ磯崎新が学生だったころ、日本の大学における研究体制において、建築と都市はまだ分離していないし、彼もその一体感のなかで学んでいた。だから彼の都市論は、内部における一体感と、外部における分離を、その葛藤そのものを立脚点としているようなものであろう。西洋的時間スケールでも、日本近代的時間スケールでも、あえてずれようとしているかにみえる。

伊藤ていじらと「日本の都市空間」を刊行したのもそういう文脈である。個人的に興味があるのは、参加者たちの役割分担である。日本文化に詳しい伊藤が「結界」や「間」を提供したのだろうし、磯崎は(昔の学生にはすぐれた教養書であった)カッシーラーの枠組みを提供したように思える。伊藤の観念論も卓越していたが、彼は西洋思想によってそれを展開する方向をあえてとらなかった。この意味で、磯崎は可能性としての伊藤ていじを展開したといえると想定している。

ともかくもパルテノンがギリシア都市と、パラディオのヴィラが都市特権階級の農業経営から不可分にように、都市と建築をわけて発想することはオーソドックスな視点からすればそれこそナンセンスなわけで、戦後の一時期の日本建築家たちは、この古典的理想に邁進していたといえるが、すぐ挫折する。建築と都市の分離は、すでに完了していたからである。

ただ磯崎新が独特なのは、事前に理想を準備するわけではないこと。つまり、この点はルネサンス的建築家とは違っていて、自己内部のイデアを準備しないこと、である。編集し、分析し、類型化し、プロットしていった世界を、事後的に建築なり都市なりと呼ぶという、きわめてはっきりした方法論である。地上における都市歩きと、俯瞰的なヘリコプター的観察を、交互におこなうということも特徴的である。そういうことで、すべては建築なのだが、すべてが「事前に」建築なのではなく、すべてを「事後的に」建築にしてしまうのである。

都市論ということで脱線すれば、かつてぼくは(ぼくだけでなく)、彼の都市論と安部公房の小説世界との類似性を感じていた。じっさい両者には親交があったらしい。去年、刈部直『安部公房の都市』(2012)を読んでおもしろかったが、60年代の都市化の時代においての、都市内存在についての新しい了解についてふれられていた。それが近代国家の形成と相関しているという指摘も、磯崎の視線とパラレルである。と思っていたら、磯崎新と刈部直が週刊読書人(3月15日号)で「思想としての建築」というタイトルで対談していた。つねに新事実がすこしずつ公表されるということで、フォロウするのもたいへんである。

すでに歴史の生き証人にして、いまも最前線の人ということで、傾聴すべきことは多いのだが、物語、読み物、として楽しもうとすると、やや既視的でもある。これは「建築の解体」の別バージョンの「都市の解体」なのであろう。