『建築 21世紀はこれからだ』

 執筆者のひとりでもある寺松康裕さんからいただきました。ありがとうございます。
 『新建築』誌の神話的な編集者であり今もなお現役である馬場璋造さんの功績を記念するための文献であるらしく、寺松さんら建築関係の編集者、カメラマンが執筆している。
 20世紀が建築にとってメディアの時代であり、建築という専門の狭さにもかかわらず、写真、出版といったものにより一般大衆にも手がとどくものになった。だれもかれもが建築家になれるわけではないにしても、階級の壁もなくなり、努力すれば獲得できるものになった。そういう時代の建築を支えてきたのがいわゆるジャーナリストたちであり、逸話集、裏話、苦労話さえも満載とはいえ、傾聴に値することも多く書かれている。
 一般大衆化はおおげさにしても一般市民化といえば、大学のありかたも同じであり、建築教育の近代的にして日本的なありかたが定まったのが、都市計画法市街地建築物法そして震災復興の1920年代以降であったことを考えると、じつはジャーナリズムとアカデミズムは二人三脚で建築界をリードしてきたのであるし、大学人あるいは学界人にとっても出版はとても大きな課題である。とくに馬場さんの大学人脈についての記載を読んでいると、その二人三脚ぶりが具体的によくわかる。
 寺松さんは「建築を評価する」という章のなかで、素材、環境、構造、素材、プログラム・・・・といった評価軸ごとにご自身の経験と見解をたいへんよく整理されて述べられており、ほとんどアカデミックですらある。裏話を書かないのは彼のお人柄をすこしは知っているつもりのぼくにとって、たいへん納得できることであり、ときにハイブリッドになりがちなこの建築界のなかで希有なことのように思われる。
 そうした緒論のなかで、言及している人、しない人にわかれてはいるが、やはり1957年の新建築問題はこの業界のノドにささった小骨(大骨?)のようなものとして、ジャーナリストたちにとって意識されていることがよくわかる。批評性なのか業界的和解なのか、イデオロギーなのか全方位なのか、雑誌として批評なのか紹介なのかということが問われた。それに大部分の人が納得するような見解もないまま、ジャーナリストたちはその問題を一種の原点のようにして自分たちを位置付け、反省的意識のコアにし、一種の十字架背負いをやってきたようなことがうかがわれる。
 じつは大昔、ある編集者とお酒をご一緒していたとき、その新建築問題について一考書いてみませんかと振られて、とうぜん問題の大きさは知っていたので、即答できずに逡巡していたら、彼にとっても強引には依頼できないものであったようで、そのまま立ち消えになったことがあった(と記憶している)。いまだに書けばよかったのか、書かないほうがよかったのか、よくわからない。しかしジャーナリズムの問題をだれが論じるのか、という課題にたいして、当のジャーナリズムが論じるのも変だし、アカデミズムが論じるのかなあという気もする。
 さらに建築ジャーナリズムはどうなるという最終問題だが、コンピュータとネットワークという万人がメッセージの送り手にして受け手の時代になると、とうぜん20世紀的な編集者・写真家は少なくなるかもしれないが、逆に、彼らはまさに特権的に20世紀という時代を生き、建築を体験してきた、きわめて恵まれた人びととなるであろう。そうした職業が小さくなることはさほど問題ではなく、そのことによって得られた見識や技術はたいへん貴重なもので、まさに建築の評価(コンペ)、電子媒体の編集、建築アーカイブミュージアムの創成にとって重要なものとなるであろう。