KATSUHIRO MIYAMOTO, Libria, 2012

という本(作品集)を宮本佳明さんからいただきました。ありがとうございます。

  もう10年以上前になってしまったが、京都かどこかで開催された建築会議でご一緒したり、(これまたどこかもう忘れてしまったが)合同卒計展で講師としてご一緒したり、はたまた大阪芸術大学の卒計ジュリイにいちど呼んでいただいたり(直接は奥先生からお声をかけていただいた)したが、ここのところしばらくご無沙汰していた。なので本を送っていただいて、ああ忘れられていないことは、いいことだ、と。

 直接話したのは愛田荘のころであり、今は神戸芸工大の花田さんやなんかと、当時話題のプログラム論の話しをしていた記憶がある。とはいってもぼくの専門性としては、お話をうかがうというレベルであったが。

記憶しているのは、宮本さんが登山だかトレッキングだかの愛好家であり、しかも山頂を征服することよりも、遭難したとか怪我をすることにより関心を寄せていたことがたいへん興味深かった。「身体性」、「偶然性」というKWである。また建築理論においても都市のなかの正規化、標準化された建築よりも、定式化されないものに関心を寄せていたことも印象にのこっている。彼はそれを「ノイズ」、「やくもの」などと呼んでいたと記憶している。建築はひとつの普遍的理論では世界の97%は構築できるが、あとの3%は雑音でなければうまくいかないのである。

 ゼンカイハウスのようなプロジェクトは、保存だとか記憶だとかという大義名分よりも、登山で骨折した自分の脚をいたわりそれに誇りをいだくような、その建築家の独特の指向性あるいは本質が表現されているように思われる。

 作品の写真を拝見しているとレギュラー/イレギュラーの飼い慣らし方がいちだんとさえているように感じられるし、そもそもノイズという概念にしたって、芸風で際立つということではなく、世界の基本的・普遍的なあるひとつの了解なのであるし、ひとつの普遍理論なのである。