研究室20周年記念パーティ

・・・を開催していただきました。ありがとうございました。 

 1992年に赴任してきてまる20年たった。正確には21周年という計算なのだが、まる20年経過したということでの記念パーティである。昨日は福岡でやった。11月は東京で開催します。 
 地方の国立大学という恵まれた環境であり、卒論生の1研究室数人と定員がきまっているので、交換留学生いれても、OB+現役学生数はおそらく120名ほどであろう。名簿作成、お願いします。ぼくも調べてみます。名誉研究室メンバーとして、飲み会のみにきていた学生(OB)、ゼミの聴講学生もうけいれているのは当研究室の伝統である。 
 ひさしぶりに会ったOBたちも立派になり要職にもつき、たいへん頼もしかった。公務員、自営建築家、デベロッパー、設計デザイン事務所勤務、メディア関係など、違う方向で仕事をしている違う学年のOBたちが、おなじプロジェクトでコラボしていて、同じ研究室であったと事後的に気がつくなどということで、しっかり社会をドライブしているではないかなどということが、たいへん立派なことだと思えた。 
 OBたちは中年にさしかかっても学生時代の面影は消えないもので、すぐわかった。ただひとりだけ、ジョギング効果で体型が良くなり、あごが細くなった人は、わからなかった。これはいいことである。 
 4次会までやっていただいた。すごいカラオケ・パフォーマンスのママのいるバー、しゃれた仮装バー、など社会見学もできた。(もと)学生に連れてってもらって、逆転状況をたのしめるのも歳をとった役得であろうか。 
 OB会はバーチャル研究室として展開しようというようなことになった。facebook研究室はいま70人ほど登録で、100超えをめざす。O壕公園でのOBジョギング会を開催する(現役学生もOKです)。現役学生ゼミあとの映画鑑賞会を開催する、などである。飲み会も適宜やる。 
3回スピーチしたので、自分の教育者歴を回顧・反省する機会でもあった。 
 自分が学生だったころ、極端な個人主義の研究室にいた。修士2年間で、ゼミ1回、教員室での指導1回、修論発表会1回の計3回しか指導してもらえなかったのだが、大人扱いしてくれたということでもある。自分が研究室をもっても、ゼミこそは定期的にやるのだが、自由主義路線しかしらないし、教えてもらったことを伝えるしかない。教育者としての訓練はうけていなくて、自分勝手な確信のみにもとづいてやってきたので、本質論的には教師としての成績はBかCかもしれないが、OBがみんな立派になっているので、学生のおかげで結果論的にA評価なんだと思っている。 
 それから学科の特性もあって、自分のクローンを養成するところではない。教員(建築史)と学生(設計)は分野が違うということがベースである。だから自分を基準としない。しかし自分の目のまえにいる学生の、可能性、特性、強みを必死でわかろうとすること、それが教師の仕事とおもってきた。この点は揺らがない。これは建築批評においてこの建物はなにが可能性か、と分析することとすこし似ている。 
 20年はいろいろ意味があって、式年遷宮、歴史60年/40年周期説などが20年がベースになっている?、経済循環20年説、産業盛衰20年周期説、学問パラダイム20年周期せつ、いろいろである。  
 たまたまだが赴任した1992年は、グローバル化元年、新宗教事件・震災・WINDOWS95の3年前、といった時期である。なにしろ1992年ころは原稿をフロッピーにして東京に郵送していたので、いまからすると旧石器時代であった。そろそろ大きな変化がくるであろう。20年周期の節目がくる、それを危機感・緊張感もすこしはもって待っているような気持ちもある。  
 個人的な20周年の意味はなにか?大学在職はあと数年そこそこだが(第4コーナーをまわったよ、とみんなには話したのであったが)、定年退職にたいした意味はない。自分のやりたい研究を考えたら、もう20年はかかる。すると今は、マラソンの折り返し点ということでいいのかなと。となりに東京マラソン抽選にうかったというOBがいたので、そんなこともみんなに言ってみた。