SD2016/1980年代生まれ論

鹿島建設から「SD2016」を送っていただきました。ありがとうございます。

 

鹿島賞《幼・老・食の堂》は、機能の混在した複合的な住居で、いまどきで面白い。20世紀の機能分化とはちがい、21世紀は、形態ではなく組成で都市を語るのであろう。いっぽうでビッグデータを活用した、さまざまなレイヤー(気象、人口構成、地価、・・・)のデータマッピングがある。たほうで、個々の地区、建築はそれら多層のレーヤーの重なり方として現象する。だからひとつの建築を語ることで、都市を語ることにもなるのだが、個々の建築プロジェクトのなかで、それらさまざまなレイヤーをどう組み合わせるか、それは普遍的枠組みのなかで個別解を模索するような、タフな仕事になるであろう。

 

ノミネートされたなかに佐藤信《だぶるすきんの家》があるのは喜ばしい。ぼくの研究室のOBだからである。

 

最近、学科の研究室案内会でもさんざん自慢したのであるが、ぼくの研究室から百枝優、佐々木翔佐藤信という3名で4回の、SDレビュー・ノミネートである。設計の研究室でもないのに、3名のべ4回の同賞入選は日本広しといえども、ここくらい、類例は希少であろう。

 

おかげさまで今年のぼくの設計課題は、常勤にくわえて、研究室OB2名のSDレビュー入選者に非常勤としてきていただき、完全自給体制を構築できたのであった。ここに赴任した頃、やはり建築家の先生は東京から招待するしかないなあと考えていた。それと比べると、状況はかなり変わり、充実感もある。

1980年代生まれの人びとは面白い。36歳未満の人びとなのである。上記OB3名もそうである。さらに最近、新任の教員としてきてもらったり、なにかの機会に話したりすることが増えた。この世代が頭角をあらわしつつある時期なのである。

そこで世代論を考えてみて、やっと気がついた。1970年代生まれは、人口ピラミッド的にはそうではないが、文化的には、実質上の団塊ジュニアである。個々につきあってみると、彼らは偉大な親世代の価値観に共鳴し、それを継承しようという共通傾向にある。ただしいちばん継承すべき、批判精神みたいなものが薄いのは気がかりではある。彼らのいうことは、いちいち正しい。しかし驚きはなく、既知感しかない。

それにたいして1980年代生まれは、そのような大前提がない。だからそのひとオリジナルのアプローチや、方法論が、会うなりすぐわかるという印象がする。すくなくとも、自分で考えているという、素直な感じがする。いまの助教クラスのかたがたは話していて楽しい。これは実質的な、ポスト団塊世代の、本格的登場といえるであろう。

わが研究室OB3名に戻ると、それから学科OBで活躍している建築家たちをみると、ある顕著な傾向がある。つまり学生のころから、じぶんなりの設計の方法論をしっかりもち、大学の設計課題や、就職してからのプロジェクトをこなしながら、それらを縦断して、自分のなかの萌芽的なものを育てているというアプローチである。古い世代に問題意識はなかったとはいわない。しかしこの若い世代のような、自分自身にとってのテーマ設定のようなものはなかった。だから、ここでも1980年代生まれは、まったく異次元のものをつくりつつあるという印象である。

中央と地方の格差は、とうぜんある。情報化により縮まるとみえて、逆説的に、広がりつつある。地方に建築学科ができたのは、基本的に、戦後なのである。戦前からある建築学科しか知らない中央の人びとは、その事実の重みはまったく理解できないであろう。ただ逆に、たとえばアジアを考えてみる場合、状況は日本の地方に近いのも事実である。考えようによっては、不利を反転できるかもしれない。

たとえば1960年に新設された建築学科の最初の入学生は、2007年に定年退職である。つまり地方では、建築業界の自給自足がやっと1サイクル終わったばかりである。成熟はこれからなのである。それにたいし数遊びをするなら、たとえば1985年生まれは、2003年に大学入学し、2007年に学部卒、2009年にM卒、そして2016年に大学非常勤というわけである。だから、1980年代生まれ、上記のぼくの研究室OBは、第2サイクルの人びとである。そういう歴史的、世代的位置づけである。

とはいえ大学のこれからはきびしい。2018年から18歳人口がふたたび減少局面にはいる。10年すこしかけて、120万人であったものが90万人、ことによったら80万人になる。大学の学生定員も、教員定員も減る。本省はすでに圧力をかけている。状況はきびしいが、そういったなかで若い世代がたのもしくみえるのは、救いである。