槇文彦『漂うモダニズム』

山寺の和尚的な生活をおくっているぼくにさえも経済や外交の危機的状況は伝わってくるのであり、ベルリンの壁崩壊から20年とすこしたって、これから1~2年は転換期になるであろうと予測するのだが、前線にいる人びとにとってはもっと切実なことであろう。19世紀からこのかた世界的秩序は20年が賞味期限なのであって、グローバルな新自由主義の20年がそろそろ終わろうとしているかのようである。そうしたら次の20年はどんな時代であろうか?

フランチェスコ・ダル・コーが『カサベラ』誌最新号で「3%から0.3%へ」という記事のなかで、グローバル化や経済危機のために建築家のパイはどんどん小さくなっているという深刻な現状報告とともに、「数年のうち」に「新しい競争的モデル」がやってくるこという予言的なことを書いていた。別の記事によると、スペインでは建築事務所の数が半減したという。・・・日本人建築家は海外で活躍していたが、その活躍の場がきわめて限られてくるのであろう。

「新建築」誌9月号の槇文彦『漂うモダニズム』にはそこまで切実なことは書かれていなかったが、黙示録的なトーンはしっかり共有されているように感じられる。この記事には、普遍と土着という二元論、ギーディオン以来彼自身が生きたモダン、「漂う」としかいいようのない現状が、えがかれている。それらは報告であり、否定のしようのないものである。

しかしそれとは別に彼が「社会(化)」と「ヒューマニズム」すなわち人間(主義)を論じているくだりは、個人的には興味をひく。「人間」と「社会」。このふたつのKWは、建築という領域、近代という時代をこえて、ひろい射程をもっている。ながいキャリアにおいてこれらの2つの価値に基づいてきたという自負であり良心の告白であると同時に、困難な時代においてもそれらを道しるべにするしかないという建築家の内面であるように思える。

個人的な昔話で恐縮だが、大学の教養課程で日本史の先生が、親鸞について1学期間えんえんと語り続けたことを最近よく思い出す。わずかに記憶しているのが、彼の歴史的枠組みであり、ヨーロッパにはプロテスタンティズムがあって、これは個人の内面において信仰するという教えであり、日本における浄土真宗はまさにそれに相当する。そして日本がすばやく近代化できたのは、このタイプの倫理観に立脚した勤労意識があったからだ、云々。このパラレルが正しいかどうかは別として、それらはまさに人間と社会を論じ、そのことによって日本が近代資本主義に容易に移行できたことを証明しようとしていたのであった。

宗教史の文献でしらべると、浄土真宗プロテスタント的というテーゼは、やはり日本社会における諸宗教のありかたを論じる近代宗教学のなかで論じられたらしい。それは禅が日本的美学として国際的認知を受け、神道の(非)宗教的性格が政教分離という近代的・西洋的枠組みのなかで再考されるという、まさに近代のプログラムのなかの1構成要素なのであった。

ここで論理飛躍するかもしれないが、現代建築家がこのような文脈で「社会」や「人間」を論じるとき、それは反射的に、論じる当人の「内面」を語っているのではないかと、ぼくには思える。それは柄谷行人近代文学を論じ、そのなかで近代日本人の「内面」の誕生を論じたような、そういう重要な問題設定である。おそらくこのようにいえるのではないか。日本の近代建築学は、西洋をモデルにして高度職業人としての建築家を教育するシステムを構築したが、当初の制度設計者の意図かどうかにはかかわらず、文化としての建築、建築を個々人の内面において支えようとするメカニズムを生んだのではないか?そのありようのなかにこの国の個性があるのではないか?

もちろんほかの地域には内面がないだの、近代以前にはなかっただの、そういうことではない。いわば集団的思考様式としての、しかし現実には内面といういじょう個々人の内部にある、精神のありようである(プロテスタントに内面があり、カトリックにはない、とかの社会学者がいっているわけではないように)。

ぼくはこれまで個人的には「モダニズム建築」概念について批判的なことをいってきたわけだが、しかしこの場合、「モダニズム」という虚のシニフィアンが措定されるのはこの「内面」という座標軸においてであろう、と仮定できる。おそらくさまざまな時代と場所において実践された諸運動、表明された諸理念を総括して「モダニズム」というレッテルを貼るのはまったく乱暴な話なのであるが、問題はそうすることの是非ではなく、「モダニズム建築」というアプローチが成立するのはいかなる場なのかということであり、それは論じられる対象ではなく、むしろ認識する主体の側にあるのであって、それはおそらくある特殊なありかたの「内面」においてなのであろう。

さてぼくはかならずしも突飛なことをいっているのではない。稲垣榮三が『日本の近代建築』において分離派をもって自意識なり近代的自我の成立としたようなことではないか?最近までずっとこの近代的自我とやらはレトリックであり、建築運動というものをよりよく理解させるための比喩のようなものだと思っていた。最近、認識がかわりつつある。文字どおり、そうであったのではないか?そして稲垣の歴史解釈を学んでしまったぼくたちは、その予言を実現させようという無意識の力に動かされているのではないか?そのようにすら思えてしまう。そういう歴史と現代の共犯関係が成り立っているのではないか。日本近代建築に固有の内面のありかたも、そういう文脈で考察できるのではないか。

ともあれ槇文彦のエッセイは、20年周期説が正しければもしかして訪れるかもしれない大破局のさらにそのむこうを指し示してるのであろう。