卒業式

今年の卒業式は自粛的であった。祝賀会などは省略し、学位記授与などのミニマムなものとなった。

大学の行事としてはそんなかんじで、夜は、個人レベルで卒業生・修了生たちと会った。挨拶でこんなことをしゃべる。先日の地震津波原発事故はたんに被害が大きいということだけではなく、システムそのものが破綻したということである。目下の重大な危機をたとえのりこえたにせよ、そのあと、一種のリセット状態からものごとを再考しなければならない。年寄りもがんばりますが、若い人びともがんばってください。・・・などといったことである。

研究室の学生たちから心のこもったプレゼントをもらってたいへんうれしかった。

学生たちといろいろ話し合う。だれそれには「反省力」がある、などといった表現がおもしろかった。コーディネート能力があると自負していたけれどほんとうにそれがある人にくらべれば自分はどってことない、などと自分を客観視できる人もいた。就職先でこんな仕事をまかせられたけれど、どういうアプローチがいいか。卒業しても針路をまよっているがこの一年どうしたらいいか。などなど、いろいろきかれる。信頼してもらっているのだろうし、背筋がのびる時でもある。学生のなかに人間が見える瞬間であるからだ。

同僚たちとは、安全な場所にいた人間としても、大災害にかんする情報や映像の過多でおかしくなりそう、と話し合う。それからリセット状況において建築の研究や教育について方向性を再検討しなければならないのではないか、などといったことも。地方大学はどうしても中央追随的になりがちだが、せめてスパイス的程度には、批判性などといったこともあっていいのかもしれない。

地震の前後、柄谷行人『世界史の構造』を読んでいた。理論的なことについてはぼくがどうこういうことではない。しかしこの場合の構造とは宿命とも読めてしまって、黙示録的な読書感が残ってしまった。話しは違うが、たとえば義援金をおくるというようなことは、どの交換様式なのか、など。

そういえば先日、研究室OBたちと会食した。そのうちひとりが東京勤務で、たまたま用事があってこっちに戻ってきていた。システムが破綻した首都圏の状況を話していた。ほかのOBは、地元の合同卒計展の話しなどをしていたが、冷静に評価していたのが印象的であった。

地震は社会そのものをゆさぶる。避難、疎開、買いだめなどで市民どうしが批判しあっているようだ。