留学生たちは帰国した

3月11日の地震津波、そして原発事故をうけて、留学生たちが帰国しはじめた。ぼくは4人のフランス人学生たちの世話をしている(していた)。そのうちの3人は、フランス政府とかれらが在籍している学校の勧告にしたがって帰国することにした。状況がよくなれば再来日する、という学生もいた。でもおそらく帰ってこない雰囲気であった。

ひとりだけ「ぼくは日本にとどまるよ」という学生がいた。「モスクワはチェルノブイリから700Km離れていて、実質的には被害はなかった。ここは原発から1000Km以上離れている。問題はないよ」という。率直な人間である。「君は正しい」とぼくは答えた「でも帰国をきめたフランス人たちだって正しいよ」。彼は反論して「彼らには同意できない」といった。もちろんぼくは、彼が帰国したっておこりはしない。もちろん、3月19日現在での放射線量は国際線に10時間のるよりもはるかに少ない、といった指摘についても、ぼくは認めない。

そのすぐあと、帰国を決めた留学生がガールフレンドと一緒になってきて、その件についての挨拶と、ちょっと事務的な書類にサインをしていった。彼らは京都旅行からかえってきたばかりで、表情はおだやかで、さして危機感は感じられなかった。

ぼくは1986年のチェルノブイリ事故のときパリに留学していたので、当時の混乱ぶりをよく知っている。新聞の風刺マンガでは、主婦がガイガーカウンターをもって八百屋にいっているのが描かれたりしていた。なおかつフランスは総電力の80%近くを原発でまかなっている。だからあの国は原発問題には敏感である。

まずフランス政府は、技術レベルが低い国には、技術輸出しないという、カントリーリスクを考慮せざるをえないというWEB版新聞記事があった。

またルモンド紙WEBはより即物的である。それによると。チェルノブイリでは炉心が爆発し、放射性物質が高度3000メートルの大気までたちのぼったが、日本の原発ではそうはならない。流出する恐れのある放射線の総量は、チェルノブイリよりも多い。しかし燃料棒の総体は把握していなので評価はむつかしい(IRSNフランス放射線保全局の情報では、第1から第4の燃料棒プールにはそれぞれ292, 587, 514, 1500本の燃料棒があるという)。炉心融解の程度については、第1が70%、第2が部分的、第3が30%、と評価している(がこの数字は?)。事故の影響はチェルノブイリが「グローバル」なら、推移をみなければいけないがとしつつ、今回は「ローカル」であろうとしている。メルトダウンという最悪の事態を想定すると、チェルノブイリのような爆発は起こらない、立入禁止地区はできても(できることはほぼ確実)チェルノブイリよりは範囲は小さい、汚染地域はチェルノブイリよりは小さい、ただ炉心の完全溶融は前例がなく比較評価できない、などということである。またチェルノブイリのときはソ連政府が大量の人員派遣をしたが、日本政府がそこまでできるかどうかという疑問をあげていた。

いずれにせよ日本の政府・マスコミは最善の場合しかいわないが、外国は最悪の場合を基準にして考えている。アメリカもそうで第4炉についてつよい危惧を表明している。

一言いいたいが、被災したからであれ心配からであれ、避難や疎開は、批判されるものではない。批判する自由はある。しかしそんな人のいうことを聞くつもりはない。

ルモンド紙は原発事故の危機を「グローバル」ではなく「ローカル」にとどまるのではないかと希望的観測を述べている。外国からみればそうなのであろう。しかしぼくたちにとっては「ナショナル」であると思う。災害を差別化してはいけないが、東北関東だけでなく、今回は首都圏が終わりの見えない危機的状況にあり、都市機能が部分的になりたたなくなり、人びとは強い物的・心理的なストレスのもとにおかれている。この大災害にはなにか黙示録的なものを感じる。だから、深刻な危機が回避された最善の場合でも、建築、都市、社会、国、の枠組みそのものを修正しなければならないようになるであろう。復興も考えねばならないであろう。しかし、それをふくめて、ぼくたちにとってなにがベーシックなのか、しかも物心両面においてなにがベーシックなのか、というそこから再考しなければならないであろう。